2017年10月2日月曜日

「新党さきがけ」のDNAを引き継ぐ都知事

都知事の最初の国政進出は細川護煕氏が率いた「日本新党」だったが、彼女の現在に至るまでの政治理念やDNAは「新党さきがけ」の代表、武村正義氏の影響が大きい。連立内閣成立後、武村氏から薫陶を受けた彼女は街頭演説から政策立案に至るまでスパルタ教育の連続だった。

現在、「希望の党」が掲げる旗印は「新党さきがけ」結党時の理念と重なるところが大きい。当時から「環境主義」を掲げ、バルカン政治家の異名をもつ武村の政略は対立軸を際立たせ、自分がスポットライトを浴びるという小池戦法と同じように映る。

さきがけのメンバーも枝野・前原・玄葉…と今回の衆議院選挙に名前が挙がる人物が集まっていた。ただ、「希望の党」が主張する保守・自衛権等々の考え方は「さきがけ」の母体となった「ユートピア研究会」の尊憲・リベラルとは異なる。これは彼女だけではなく前原氏らも同様で、結局スタンスを崩さなかったのは枝野氏くらいか。

となると、二大政党制が「保守」「リベラル」という図式で成立するのであれば、「リベラル」の政党は「選別」から除外された議員および、残った民新の議員たちしかいない。

かつて自自公連立で離党した彼女が、もしかしたら自希公連立なんてウルトラCの大技を打ち出して来る可能性も否定できない。

2017年9月26日火曜日

AIと仕事についてちょっと考えた。そして、Google+と連動していなかった。

むかし、「Google+」とブログはリンク設定していたんですが、なんかずっとここ最近切れていたので、また繋ぎました。

はたして、読んでくれる人は増えるのか?

さて、最近やたらと「AI」の話題が経済誌やテレビなどで取り上げられています。そして、そこに必ず絡んでくるキーワードが「10年後に消える仕事」というやつです。

コンビニは発注・検品・レジ…すべてにおいてAIが担い、ヒトは接客に集中する。既にこのシステムはタブレットで始められており、かなり時間の削減に役立っているそうです。

この人類が生み出した最大のライバル「AI」に対抗できるヒトの能力は「コミュニケーション」「イマジネーション」「フィジカルパフォーマンス(スポーツ)」ぐらいに絞られてしまうのではないかと思ってしまいます。

今や一流シェフの動作を記憶し、料理までも作りはじめたAIに、仕事どころか人間の営みさえも奪われてしまう可能性が高いのです。しかも、急速な発展スピードは気が付けば実用化というところまで迫ってきているので、完全に我々の脳みそをニュートラルにしないと置いてけぼりを食ってしまいます。

こう煽り立てると、なんだか空しい感じがしてしまいますが、人類の欲求が無くなることはないので、さらに先の技術を追求するか、そこに意味を見出せず原点回帰を求める人々の2パターンに落ち着くでしょう。(断舎利なんぞいい例)

「暇を持て余す」という言葉があります。その「暇」が新しいお金の流れをつくるかもしれません。そのまえに言っておきたいのは「消える仕事」は消えないということです。完全なマンパワーのみの仕事は黄色信号ですが、最初に挙げた「コミュニケーション」「イマジネーション」を付加価値として提供すれば、AIに当分の間は勝てるでしょう。


2017年8月2日水曜日

8月です。

つまらん、タイトルですが、僕にとっては8月は特別。

お盆という正月とならんで、親戚に会えるチャンス。

親戚の赤ん坊は大きくなったかな?

まあ、ぼくもおっさんに近づくのですが。

ツイッターみたいな文章になってしまいましたが、今夜このへんで。

2017年6月26日月曜日

「してるつもり」人間

6月下旬、やっと関東は梅雨らしくなってきました。

「空梅雨」だと言っていたら、本当にそうなり、穀物などの生育が心配です。

最近、仕事に行っても外のカフェで業務をやることが多くなりました。

理由は事務所を転居するといって、新しいスタッフを入れたのにもかかわらず、相変わらず狭いスペースに留まっているからです。

ライティングはPCとネット環境があればどこでもいいわけで、押し出されてしまったわけです。個人的に僕は雑音のなかで、試験勉強や仕事ができないタイプなので、非常にこまっています。

その他にも最近、やたら「意識の共有」「ボトルネックの明確化」など難しい言葉が飛び交うようになり、地に足がついていない感じがむずがゆくてしょうがありません。

人が多くなれば、意思疎通を図るのは大変なのはわかります。問題なのはそれができていると思って確認作業を怠ってしまうことです。

「1秒を無駄にするな」と言っておいて、会議の書類を探しているような奴はアカンのです。仕事の効率化といいながら何時間もPCに向き合っていたら、集中力は比例して下がります。

大風呂敷を広げるのは簡単なのです。

それに実行性が伴わないのであれば、すぐに検討するべきです。

小学校の授業は45分。人間、そんなもんしか緊張下のなかでは能力を発揮できません。周りのことばかり突いてきましたが、自分もそんな「○○してるつもり」になっていないか、改めて考えるといくつか…。

ですので、何かを指摘したり、叱責したりするというのはそう軽々しくできないのです。自分に厳しくなければ。

2017年5月12日金曜日

ウィリアム王子の言葉

昨日の新聞でイギリスのウィリアム王子が、

「母の死に未だに苦しめられている。どのように向き合っていくか、対処法を考えるしかない」

と語っていました。

僕は歳が近いということもあり、少年期に家族や親族の死に直面した王子の気持ちを思うと、胸が締め付けられる想いでした。

僕も小学生のとき、身近な人の死というものに直面しました。

子どもながらに「死生観」というものは持っているもので、悲しみとは別の、人間としての避けられない宿命みたいなものを感覚的に体に刷り込まれたような気がします。

苦しみは他人からだけでなく、自分自身で抱えることもあります。

それは世間の人々が考えているよりもはるかに多い人達が、その苦しみと向き合っています。

若ければ、なかなかそれを口に出すことも難しいのかもしれません。

僕は20代に経験し、今に至っています。

ウィリアム王子の言葉に救われたのは、「解決する」「回避」するといった言葉ではなく、人生において何かを自分のなかに抱え込みながら、生きていかなければならないこともあるのだと、教えてくれたことです。

苦しみから解放されたいと思うのは誰しも願うことです。

しかし、解放されないものも存在するのだと、そう考える人が世の中にいるのだと知ったとき、勇気を分けてもらえた気がしました。