僕が立松さんとお会いしたのは、3年前。鎌倉のあるお寺だった。
講演で来ていた立松さん。檀家として話を聞きにいった僕は休憩中に声をかけ、ちょっとした雑談をさせてもらった。
その前から、僕は立松さんの語り口調とその温和な性格に憧れていた。
自然を愛し、環境問題に警鐘を鳴らしていたその姿は今も鮮明に覚えている。
本当に大好きな作家さんでした。あのときお会いできたことを本当に感謝しています。
ご冥福をお祈り申し上げます。
僕が立松さんとお会いしたのは、3年前。鎌倉のあるお寺だった。
講演で来ていた立松さん。檀家として話を聞きにいった僕は休憩中に声をかけ、ちょっとした雑談をさせてもらった。
その前から、僕は立松さんの語り口調とその温和な性格に憧れていた。
自然を愛し、環境問題に警鐘を鳴らしていたその姿は今も鮮明に覚えている。
本当に大好きな作家さんでした。あのときお会いできたことを本当に感謝しています。
ご冥福をお祈り申し上げます。
皆様、明けましておめでとうございます。
本年も変わらぬご愛顧の程、よろしくお願い申し上げます[E:fuji]
え~、初詣から帰ってきまして、もうお酒が入っております。
雑煮、饅頭、アルコールと訳のわからないメニューになっていまして、
「もう、寝るか」
という雰囲気です。
昨日は万全を期して、0時前に就寝。
今朝は危なく寝坊するところでしたが、なんとか初日の出を拝むことができました。
今年も健康第一で過ごして参りたいと思いますので、よろしくお願い致します。
元旦
就活、真っ盛りですね。
学生の皆さん、暑い中御苦労さまです。
就活するうえで必ずやらなきゃいけないこと。
それは「自己分析」です。以前、自己分析は必要ないと唱えた筆者ですが、どうしても何をしていいか分からないという人いるとおもいます。
しかも、企業から送られてくるエントリーシートはそれぞれフォーマットが違っていて、毎回それに合わせてその企業になるべく関係のあるエピソードだったり、経験を書いているのではないでしょうか?
「あ、それ自分だ。」と、思ったら周りの9割は同じことやっているといっても過言ではありません。残りの1割が内定を取っていくのです。
内定を取る人は、企業に自分の経験などを擦り合わせるのではなく、自分の経験、能力を企業が必要としている人材として自分の観点に組み込んでアピールします。なので、どこの企業の面接に行ってもブレることがありませんし、そもそも企業選びの段階でのミスマッチがすくないのです。
では、どうしたら「自分」というものを深く掘り下げ、客観視できるか。
みなさん、Wikipediaってご存知ですよね。
あれ、一目瞭然でその人の人物像が分かると思いませんか。
それはなぜか。その人のエピソード、経歴などすべてが他人の書き込みから構成されているので、主観の要素が一切ないため非常にイメージしやすいのです。
それは自己分析も同じ。採用官にあなたをイメージしやすくさせる最大のポイントは「客観的視点で自己分析できているかどうか」という点なのです。そこに、自分の考え、想い、理想が加わることにより、最高の自己分析、エントリーシートが完成するのです。
自分を有名人と仮想し、いちユーザーの視点からさまざまなエピソード、経験を書き込んでいくと面白いものができあがると思います。
おはようございます。
いつのまにか、休みの日も普通に8時ごろ起きてしまいます。
で、今日は暑い。いや、昨日も。
仕事から家に帰ってくると、いかに東京が暑いかを実感する。僕の家の裏は山があり、緑が街の熱を吸い取ってくれる。風は涼しく、澄んでいて、いつのまにか汗もひいている。それが本来の自然なのに、Tokyoという灼熱都市はまるでエネルギーの膨張を抑えられないかのように、地面から、ビルの隙間から無機質な異常な熱を生みだし続ける。
気候だけではない。ひとも経済も産業もTokyoにはモノが集まりすぎた。ある駅から徒歩5分の距離にもう次の駅があるこの都市は、利便性の追及というより、ありとあらゆるものを「繋ぐ」ことに囚われ、そこから生まれる弊害、障害を完全に見失ってしまった。
学生時代、Tokyoに一人暮らしがしたくてたまらなかった。深夜まで遊んでもどうにか家に帰れる。時間を潰す場所はいくらでもあったし、自分の好奇心を掻き立てるものがあふれていた。
でも、時間が経ちTokyoで仕事をしていると、その好奇心はいつのまにか薄れていることに気づいた。海や山、遠く地平線まで広がる大地に心の癒しの場所を求めるようになった。
そこは僕にとって時間軸がとても緩やかに感じ、「生かされている」ことを教えられる場所だから。
こころの病気になったとき、治療方法として考えられるのはこの二つです。
僕はそろそろこの長い長いマラソン治療のゴールを迎えようとしています。
振り返ると、最初のころは薬を3種類ぐらい処方されてました。ちょうど、社会がうつ病などに関心を持つようになり、こころの病にどう向き合うかというのが話題になっていたように思います。
先に結論から言いますと、治療において薬は1種類が望ましいということです。たくさんの種類を飲めばそれだけ副作用も増えますし、包帯のうえに包帯をまた巻くようなものだと私は思います。もちろん、すべての症状において1種類がいいとは思いません。
ただ、クスリが減ると明らかに体が楽になります。軽いというか、頭の中が聡明になるというか。うつ病などで長期間休養を余儀なくされている人たちは、結構この薬のちゃんぽん処方によって、症状が長引いているのではないでしょうか。
また、僕は1年間カウンセリングを受けました。現在の日本のカウンセリングは「傾聴」を基本としたスタイルをとっているので、アドバイスをくれたり、ここは良くないといったようなことは言いません。個人的に効果がないとは言いませんが、カウンセリングをやっていくなかで、自分がしゃべっていることにハッとさせられ、そこから快復の糸口を見つけたというのが、正直なところです。
とにかく、調子が悪くなったらひたすら自分が「何かをしよう」という気がおこるまで、ゆっくり休むことです。必ず、何かしたくなってきます。コンビニ行こうかな~とか、本屋さんいこうかな~とか。はじめはそんなところから自分のできる範囲で行動の場を広げていくと、いつのまにか、すこしづつ良くなっていくものなのです。
あと、昔の自分を取り戻そうとか思わないでください。昔の自分だったから病気になってしまったわけで。良いところは残しつつ、新たな自分を育ててください。人は常に変わっていける生き物ですから。