2010年2月14日日曜日

コトバを探究する。

連日連投です。つまり今「ひま」ということです。



実はWEBでのライターの仕事を辞めたんです、昨日。



去年からの流れで収入がないと家賃とか払えないので、とりあえず自分のスキルが行かせる物書きの仕事ならっていうことでやっていたんですけど…。



今年に入ってNPOでの繋がりが広がっていくと同時に、自分のなかで創作への欲求が高まっていきました。ライターという仕事はあくまでもクライアントがいて、その要求を満たす文章を書くことが第一。そこには主観とか自分のオリジナリティを出してはいけない。よっぽど有名になれば自分の好きなものを書かせてもらえますが…。



自分が物心ついたときから、創作というものは生活の一部でした。小学生のときは学校から帰ってくるとひたすらマンガを描いていましたし、中高も写真を撮ったり、映画を見たりして、常に刺激がありました。



大学受験のときに完全に自分のなかでは「普通の生活」を捨てる覚悟で受験したのに、いざ大学卒業のときにはちゃっかり会社に就職して、そつなく仕事をこなそうとしていました。



結局、体調を崩したりしたのもそういう心の中での矛盾が大きかったから、拒絶反応として、症状に現れたような気がします。そして、今10代の時の気持ちを思い起こしてみて、「何がやりたいんだ?」って自分に問いただしたら、やっぱりストーリーを紡ぎだしたり、歌をうたったり、自己表現を思いっきりしたいっていう処に戻ってきてしまったんです。



とりあえず、これを自分のなかで整理をつけない限り、どんな仕事をやっても頭の片隅にいつもこの想いがまとわりついてくるんだろうなと思った瞬間、じゃ、やろうと決心したわけです。三つ子の魂百までとはよく言ったもんです。



今、目標にしているのはとにかく作品をひとつ完成させること。それも「もう何もアイデアでてこないよ」ってところまで突き詰めようとおもっています。



甘ちゃんの僕なので、厳しい環境に耐えることも大事なことではないかなと思うわけです。



2010年2月10日水曜日

立松和平さんを偲ぶ

僕が立松さんとお会いしたのは、3年前。鎌倉のあるお寺だった。



講演で来ていた立松さん。檀家として話を聞きにいった僕は休憩中に声をかけ、ちょっとした雑談をさせてもらった。



その前から、僕は立松さんの語り口調とその温和な性格に憧れていた。



自然を愛し、環境問題に警鐘を鳴らしていたその姿は今も鮮明に覚えている。



本当に大好きな作家さんでした。あのときお会いできたことを本当に感謝しています。



ご冥福をお祈り申し上げます。