2015年11月4日水曜日

布団のなかの0.1度の温度差。

この時期、なかなか布団の中からでられなくなる頃だ。

でも、寝つきが悪かったり、途中で目が覚めてしまったり、布団の温もりが自分の体温と共に不快なものになる。

うっすらと汗がカラダにまとわりつき、何度カラダを反転させても熱が逃げた気がしない。

疲れているのにこの状況はさらに寝つきを悪くする。

たぶん、本当は布団のなかの温度などそんなに問題ではないのだ。

興奮し、不安に似た感情が生まれ、はやく眠りたいという願望が余計に焦りを生む。

もう、今夜は寝れなくていい。そう腹を括ると意外と睡魔がやってくる。

そんなもんなのだ。

もちろん、不眠の辛さをしっているから、簡単にいえる。

知らない事を知ったかぶって書いたところで、何の意味も無い。

だから、苦しいとか、悲しいとか一言で表現できてしまうその言葉の振り幅はとても大きくて、自分が世界で一番苦しいとも思っていないし、一番自分が軽いとも思っていない。

でも、そこに何らかの相手への思いやりが欠如していることが多い。

頑張れとか、気にするなとか、たいした問題じゃないとか。

なぜ、そう言いきれる?

そんな話を一回り下の世代の人に話をしました。

全部理解しなくてもいい。

最低でも、自分が嫌な気持ちになる事を相手に置き換えて考えてみて、と伝えました。

2015年10月27日火曜日

ぐて・・・。

やしきたかじんでテンションを上げてます。

今月、ものすごい分量の記事を書いてます。

これまでの最高記録だ。

でも、大丈夫。妙にげんきだから。

ちょっと、ハイ?

で、これで最高潮だ!

2015年8月28日金曜日

報酬があるから仕事をやるんじゃなくて、仕事をやったら報酬がついてくる。

ここんところ、自分で言うのも恥ずかしいんですが、結構集中して本を読んでます。

それは仕事と報酬のバランスがなんかおかしいと思い始めたからです。

簡単にいえば、100の仕事を時給では1000円でやって、委託かなんかでやってもらったら600円みたいな。

まあ、眠い目をこすって出社して「会社に行く」ことに意味があるってところは理解します。

でも、外人はそれを通り越して、報酬がなくても「自分の仕事」は金がでようがでまいがやっているような節がある。

なぜ?って聞くと「これは僕の仕事だからさ」

訳わかんないです。生活できないじゃないかと。

でも、いいときも悪い時もやり続ける。

仕事への価値観が全然違う。

感覚は芸能人の方達に近いのかな?

好きだからやる。成功したお金はあとからついてくる。

これに意外とぼくはショックを受けて、ちゃんと「いい仕事」を観る目が養われているんだろうかと再確認しているんです。

全然わからなかったことが、急に距離が短くなる瞬間があることも体験しました。本を読んでいたからなのか、理由はよくわからないんですけど。

ただ、確実に無駄なものが削ぎ落とされた感覚をもっています。

少し重力が軽くなった感じ。

まとまりが悪いですが、こう、ライオンキングみたいに「うお~!!!」って叫びたいんです。いま。

2015年8月3日月曜日

社会企業家はNPOより寺を運営したほうがいい。

ちょっと前、NPO法人の代表と話をする機会があった。

資金繰りが難しいといって、話はあっちこち飛んだが、いくら崇高な理念のもと事業を始めても、個人的に企業的感覚でやっている人とボランティアの延長線上で活動している人では全然違う団体だと認識している。

僕は理念上のNPOというのは日本に合っていないと思っている。毎回これを言って怒られる。欧米のNPOは基本、寄付が圧倒的に多い。しかし、日本では少ない。それは文化の違いであって、いくらクラウドファンティングをやっても集まらないものは集まらない。最近のNPOの人材募集をみても、資金をファンドのように集め、それを運用できる人材を欲しがる。

確かに発想は素晴らしい。でも、僕はなんか違和感を覚える。それは日本人的、汗水たらしてお金は得るものだ、みたいな考えが残っているからだろうか。基礎体力の部分をあまり、補助金や他人の財布で固めると、基盤が弱くなる。結果、組織の維持にエネルギーが費やされ、本来の目的を達成できず、本末転倒となる。

日本にはそういうシステムがずーっと前から機能している。

お寺だ。

お賽銭、お布施、寄贈・・・。昔は庶民の悩みは地域の寺が受け持っていた。修行を積み、徳というスキルを活かし、人々の生活に尽力した。

事務所の家賃も心配ない。檀家がマンパワーを供給してくれる。あとは若い発想を足すだけだ。

こんなことを書くのも、欧米のNPOの知人から事業拡大の話を聴いてレベルが違う!!と驚愕したからなんだけど。

2015年7月10日金曜日

現代の書


書物、出版物というものは形あるものを言うのか、そのコンテンツを指すのか。
私はここ数年、電車でサラリーマンが週刊誌を読む姿、学生が漫画を読む光景をほとんどみない。
しかし、彼らは「読書」はしている。勿論、全ての乗客が読書をしているわけではないが、デジタルコンテンツを読み、それを情報源の主としている。

この事実は日常生活に殺伐とした無機質な感覚を植えつける。

傍からみれば、何を読んでいるのかはわからない。完全な「個の空間」をこの十年で我々は手に入れられる環境になった。

活字だけでなく、音楽、映像といったコンテンツそのものだけを抜き取って楽しむという慣習が当たり前になってしまうと、これまでのようにいくつもの行程を経て世に送り出されたものに比べ、「深み」がなくなる。ワインをじっくり熟成させるように、できあがった作品に様々な装飾、または肉付けをしていくなかでクオリティー、完成度は増していった。それをなくして、いきなりメインディッシュだけというのは味気なく、非常に希薄なものに映る。

創り手側は常にニーズを先読みし、先手を打とうと必死なわけだが、その競争に終わりはない。その結果、作品の主導権は作家ではなく、読者に移ってしまった。ここに作家のジレンマが生まれた。時間をかけて創作することが制限される。よほどの大作家なら話は別だが、世の中に供給される作品数が飽和状態の為、常にスピードが要求される。かつてはそこを少なからず出版社がコントロールしていたが、ネット媒体によってその調整弁もなくなった。

数多の新人賞から作家が誕生し、消えてはまた生まれる。文学界の新陳代謝は一見正常に機能しているように見える。しかし、その機能はもはや形骸化していると言ってよい。分かりやすい例を挙げるならば、芥川賞・直木賞であろう。これらの賞を受賞したからと言って、作家としての将来が約束されたわけではないが、後の作品がコンスタントに発表できていても、読者と「線」では繋がっていない。あくまで、受賞時の瞬間最大風速のような圧倒的情報量のなかで手に取ったに過ぎず、それが一過性ではなく、継続性を持って読者との繋がりを維持している作家は近年、稀と言ってよいだろう。

これを業界は衰退、不況だといい作家の鍛錬を怠った。作品を発信する場を勝ち取ったはずなのに、満足にそれができない。勿論そこには完全実力主義という原則はあったとしても、出版社(編集者)は作家の可能性を最大限引き出す義務がある。これが媒体の多様化によって、作家を養う眼が分散してしまう事態を生んだ。作家はセルフプロデュース能力が高くなければ生き残れなくなり、編集者としての視点を持てる者が新しい時代の作家像を形成していった。

2015年5月31日日曜日

ダービーの余韻覚めやらぬままに。

終わりましたね。
競馬の祭典が。
ほんとうは昨日、ここに予想でも書こうと思っていたのですが、家に帰るのが遅くてやめました。

また、来年のダービーに向けて1年がスタートします。
そして、ダービー馬は三冠を取りに行くのか、凱旋門を狙いにいくのか?

個人的に春の祭典を獲れたのはうれしかったですね(笑)

まだまだ東京開催は終わりません!
みなさん、ぜひ足をお運び下さい!



2015年3月23日月曜日

たまには写真でもご覧になって!

ランダムに、最近撮影した場所をのっけていきまーす。

んじゃ、スターっト。




 


はい、おしまい。

あとは個人情報に触れる可能性があったので、やめました。

来週は桜をとりまくってきます。

花見って感じじゃまだないですね。

さむさむ。

2015年1月18日日曜日

タフな心で。

年度末までかなり気を引き締めていかないと、途中でばてる。

と、いう気持ちでがんばります。

何を頑張るかって?

そりゃ、自分のこれから先の生活です。

3年、出版の仕事をやって周囲からはまだ我慢が足りないと言われ、留まるよう言われますが、体力・独身・次の目標設定として、「地方・農業」というのはやってみたいフィールドなのです。

いま、若干緊張感がないことを薄々感じています。仕事を無難にこなしている。

「難」無しではこのさき、絶対にその場でいいやと居心地さを求めてしまう。

それは苦痛。

医者からGOサインをもらった以上できるとこまで、やりたいと思うのです。

まず、いろんな人に会いたいな。

いろんな話聞きたいな。

いろんな想い感じ取りたいな。

そう思う今日このごろなのです。

2015年1月1日木曜日

謹賀新年2015

さあ、新しい年がはじまります!

今年はどんな1年になるかな?

夢と希望を胸にスタートだ!!!

今日は初詣とお墓参りです。

それでは今年もよろしくお願い致します。


                                   2015.1.1
                                    
                                    ISAO