2010年12月5日日曜日

テレビのはなし。

こないだ、最近テレビ番組何観てる?



という話になり観ている番組をあげたらほとんどNHKだった。



ちょっと前までは自分自身もNHKなんかあまり観なかったし、周りもNHKをみているというと「渋っ!!」という反応だった。



でも、いまNHKの番組はほんとにおもしろいし、質も高い。民放が相次いで戦線離脱していくなか、公共放送局はさらに安定感を増している。



たとえばNHKスペシャル。



あれをいま民放でやったら間違いなく、数本で赤字計上になってしまう。



昔もあれだけの時間と予算をかけて作れるのはNHKだけだったが、民放でもそれなりにドキュメンタリー性の高い番組はあった。ロケ番組が減り、スタジオ収録(しかも背景がCG!)が増える中で民放だからできる革新的な番組が激減した。



テレビで制作をやりたい人間は第1志望でまずNHKを挙げる。あれだけのスケールの番組をつくれるのはNHKしかない!と力説していた。



それはドラマ・バラエティーにも同じことが言えるわけで、TBSなどは終日「TBS映像ライブラリー」化しており、いったい何をやりたいのかよくわからない。水戸黄門だけは最後の牙城とばかりに気を吐いているが、夕方枠まで水戸黄門では小さい子供はなぜ、里見浩太郎が助さんと黄門様の二役をやっているのか意味不明だろう。



日テレは完全にドラマ枠は意気消沈、テレ朝は深夜枠でディープな視聴者層を囲い、月9のフジもスマッシュヒットとはいかない作品が続いている。



そんななかで圧倒的に良質なドラマを送り続けているのがWOWOW。



まず、CMなし。観終わったあとの充実感はやはり違う。これはNHKにも言えることだが。



そして脚本が秀逸なことと、全話が5話~8話というちょうどいい長さ。映画以上連ドラ以下のこの尺は満足感とともに、作品自体がだらけてしまうことがない。



視聴者は視聴料を支払っているので当たり前といえば当たり前のことなのだが、やっぱり良い番組を観たい場合には金を払えということなのか。



しかし、民放もBSとなるとちょっとはなしが違う。



地上波とはまったく別路線を歩んでおり、マニアックな番組が結構ある。



今夜10:00から放送される、BSフジの「ディスカバリーチャンネル」はCSが観れない私にとってはとってもありがたいことであり、毎週みている。Viva 地デジ。



大衆がコンテンツを選ぶ時代になり、一方通行であったかつてのテレビ放送の在り方は大きく変革を迫られている。それはクイズに参加できるとか、番組情報を見られることではなく、広告収入頼みであった制作費を個々の視聴者へいかに転換できるかということだ。それはこれまでのグッズ販売等しかり、さらに踏み込んだ「特別な時間」を提供するという視聴者へのきめ細かいコンテンツ作りが必要だと考える。



2010年11月15日月曜日

情熱大陸

昨日の「情熱大陸」は田原総一郎ということだったので、期待をしていた。



全編の内容を書くときりがないので、観た人だけに分かる記事になってしまうが申し訳ない。





昨日の番組構成ははっきり言って15分に編集できる内容だった。



本人曰く、「僕はまる裸の人間なんだから、撮ってもおもしろくない」と言っているのだから、我々が彼に対するイメージを壊すものをもっと観たかった。



具体的に挙げるなら、冒頭の山のように積み上がった書籍の上で朝食を食べ、それが毎日同じメニューでほぼ動作も変わらないというところ。もうひとつは彼は立派なお年寄りで、優先席を周りに遠慮することなく座れるということ。



これぐらいしか、面白いシーンはなかった。



朝、新聞記者や国会議員に電話しているところなんて全く面白くないし、政治家との勉強会やラジオの打ち合わせなんてどうでもいい。彼のプライベートの部分として、孫との食事のシーンがあったが、プライベートというだけで、それ以上、それ以下でもない。



密着で5日も撮っていたのだから、たとえば彼の朝の食事風景を5日分流すことで、何か変化が見て取れたかもしれない。





田原総一郎はメディアで散々自分のメッセージを伝えているわけで、今回の放送でそのメッセージを引きだすことは意味がないような気がした。





最後の場面で彼のマンションに学生が招かれた。



ツイッターで会いたいと申し出てきた学生たちに対し、彼は「好奇心」でギャラももらわず会っていた。学生たちは就職について、仕事について田原に色々質問していたが、せっかく田原総一郎という人物に話を聞ける機会をもらったのだから、そんなちっちゃな質問なんかせずに、でかいスケールの質問をぶつけて欲しかったなと思う。



そんな田原も学生達の話を聞いて



「相当、就活が大変なんだろうね」



と、言っていた。戦争を経験し、一度は価値観のすべてをぶっ壊された彼が言うのだから間違いないだろう。





でも、本当にそうなんだろうか?



ここから話は少し逸れるが、就職=生活という図式は成り立つと思うが、就職=生き抜くとなれば違うと思う。



有効求人倍率も全業種でみれば1倍以上あるわけで、何かの仕事に就こうと思えばどこかの会社には入れる。



しかし、これだけ高校生、大学生の内定率が下がり、失業率が上がるのは限られた牌を奪い合っているからであって、もう一部上場だとか、ランキング上位だからという理由だけで企業を選ぶのはあまりにも浅はかな考えだ。



特に学生は「やりたいこと」と「やれること」の区別ができていない。



難関を突破して有名企業に就職できたとしても、入社した時点から「やりたいこと」を仕事に求めるために、自分にはたいした仕事をさせてもらえない、業務内容がイメージしていた内容と違うと言って、辞めてしまう。



しかし、企業からしてみれば卒業して間もない新人に「できること」は限られており、彼らの「やりたいこと」、企業が「やって欲しい」ことを少しでも早く実現できるように色々な仕事を経験させる。



田原は言っていた。



「どんなことがあっても3年は辞めちゃいけない。3年やってみて段々自分に向き、不向きの仕事が分かってくる」と。



最初は自分の思うようにいかないかもしれないが、とにかく継続することを意識して仕事と向きあえば、いい方向に行くはずだ。





これから、ツイッターで田原氏に是非お会いしたいと言ったら、会ってくれるのだろうか(笑)



ツイッターやってないけど。



2010年10月21日木曜日

2011

去年の今頃、僕は来年の事を考えていた。



そして、この1年間は準備期間として色々模索する期間になるはずだった。



だが、6月から就労支援の仕事に関わるようになり、それはやりがいのあるものだった。



契約についても来年以降の話が当然でており、できればこのままでいきたいと考えている。



では、去年の今頃考えていたことは…。





僕は周りに10年前から「30歳」になったらとつねづね言っていた。



仕事も一区切りつけ、社会勉強とはおさらばしようと思っていた。



そのかわり、20代は吸収できるものはすべて吸収し、ちょっとやそっとじゃ追いつけないほど、同世代の奴らにはできない経験を積もうと思っていた。



ところがどっこい、社会人のスタートで体調を崩し、休養することになった。



経験どころか、心身ともに辛い月日が流れた。



そして、やっと仕事ができるところまでこぎつけた。



ということは、こっから休んでいた分の社会勉強を10年スライドさせて40歳までやらなきゃいけないことになる。



しかし、僕のなかで休養していた期間は無駄な時間など一時もなかった。



今の仕事に関心を持ったのも、体調を崩さなければ一生縁のなかった仕事だと思う。





そして、2011年のスタートがだんだんと近づくなかで自分はどうすべきか。





社会勉強と自分のライフワークを両立すること。すなわち2倍の密度でやらなきゃならんということです。



結婚もしたいし。



会いたい人達もたくさんいる。





2010年8月24日火曜日

ワイルドスピードMAX

理屈抜きで面白かった[E:motorsports]



首都高をかっ飛ばしている、ドライバーの気持ちがちとわかった。



日本もアメリカも危ない取引は港の倉庫でやるんですね(笑)



WOWOWで観たんだけど、これは映画館で観ればよかった…。



S008



2010年8月10日火曜日

オレンジデイズ

昨日、DVDに溜めて録っておいた「オレンジデイズ」を一気に全話みてしまった…。



見だしたら、止まらなくなって観終わったの0時過ぎ。



あまりにも大学生活と重ね合わせてしまって、涙がとまらなかったよ。



櫂(妻夫木くん)みたいに、純粋に人を好きになり、愛せるこころ。



いつまでもわすれちゃいけないとおもった。



ドラマなんてここ数年まともに観たやつなかったから、めっちゃくちゃ感動してしまいました(泣)



もう、どのシーンも「あ~こんなのあったよなー」って思いながら心の中でうなずいて、あっという間に終わっちゃった感じだった。



少し、気持ちが暖かくなりました。



こういうの観るとやっぱりモノを創っていく仕事は素晴らしいと思う。



2010年8月1日日曜日

「直感」

今朝、なんとなく今日は出勤してこない人が来ていそうな気がした。



駅を降りて事務所へ向かう途中、「たぶん」から「きっと」になり着いたらやっぱりその人は来ていた。



理由があって今日その人はいたんだけど、僕はその理由を全然知らなかった。



というか、どうでもいい関係のないことだった。





でも、僕の直感は当たっていたわけだ。



生活のなかで、偶然とかまぐれと言われるものは確かにどんでもない確率のなかで起こっているものもある。



でも、人間が持っている直感みたいな、いわゆる「第六感」というやつはそう単純なものじゃないと思った。



自分がそう感じる、要素が多ければ多いほどその感覚は確かなものになっていく。そこに個人差はあるのだろうけど、感受性が強いひとはそのアンテナがたくさんあるんだろうな。



それがプラスに働いたり、マイナスに働いたり。



今、僕には多くのアンテナが求められている。



何気ないしぐさ、ことば、空気なんかを敏感に感じ取ることが仕事。



それが自分に重くのしかかってきたらマズイのだけれど、今のところ性に合っているらしい。



なぜか。いまやってることを直感で決めたから。



これまでの自分の価値観や固定観念を無視したら、何か違うものが見えてきた。



そう自分が思うようになったのは、それまで悩んで、悩んでそれでもどうしてもみつからなかったから。



最近、「悩まない生き方」みたいなものを称賛している風潮があるけど、人間悩まなくなったらなにをするんだよ?と思う。無駄とも思える膨大な時間がたいせつなわけで、たとえどん底にいようとも必ず浮き上がってくるのが人間のすごさだと感じている。



マスコミや知識人は難しいことばを並べて、僕たちを混乱させないでくれ。



情報が飽和状態になると混乱するだけだから。



あくまでも参考書程度でたまに2、3ページめくるぐらいがちょうどいい。



2010年6月20日日曜日

『こたえられた祈り』(南北戦争時の一兵士による)

私は神に 強さを求めた



何事かを成し遂げるために



すると私は弱くされた



従うことを謙虚に学ぶようにと





私は神に 健康を求めた



もっと偉大な仕事をするために



すると私には病を与えられた



恵み深い仕事をするようにと





私は神に 富を求めた



幸福になるために



すると私は貧しくされた



知恵ある者となるようにと





私は神に 力を求めた



人々の称賛を得ようと



すると私には弱さが与えられた



自分には神が必要であることを自覚するために





私は神にあらゆるものを求めた



人生を楽しむために



するとわたしにはいのちが与えられた



あらゆるものを楽しむように





求めていたものは何ひとつ手に入らなかったが



望んでいたものはすべて与えられた





的外れの私の祈りにもかかわらず



神はことばにならない私の



ほんとうの願いをかなえてくださった





私はだれよりも 豊かに祝福を受けている



2010年5月29日土曜日

何の為に生きるのか。

自分のためか、誰かのため。



自分のためなら、妥協できない。



誰かのためなら、どんなことだって耐えられる。



いろんな理由をつけても心が拒むなら、それは辞めろってもう一人の自分が言っている。



愛おしい人が傍にいるなら、疲れや傷を癒してくれるから、歯食いしばって日々を過ごせる。



胸に手をあてて、問うてみる。



幸せはどこにあるのかと。



応えが返ってこないのなら、それはもう手にしてしまったのかもしれない。



あまりにも自然すぎて気付かないだけ。



2010年5月25日火曜日

久々に代々木に集う。

先週の土曜日、以前参加していた会食恐怖のオフ会があるということで、急遽混ぜてもらいました。



みなさんそれぞれ、辛い思いをされていてその気持ちは痛いほどよく分かりました。



僕は当事者だった立場として何を伝えられるか考えていたんですが、あまり精神論みたいなことを話しても意味がないと思い、具体的な経緯をお話ししました。



この症状に限らず、僕は「後鼻漏」というこれまた厄介な鼻炎の症状を抱えています。これもたぶん、ある程度の時間をかけないと治らないんじゃないかな~と考えています。でも、これまでいくつかの経験をクリアしてきただけに「なんとかなる」という気持ちは持っています。むしろ、「絶対治る」と思っています(笑)



だから、鼻水だらだらの状態でも仕事場に行き、仲間に症状を説明して普通の生活をしています。何も言わずにいるにも見た目が悪いので、最低限のエチケットです。しかし、今思うのは、そういった症状を引き起こす原因が自分の内面的なもの以外として外の環境、具体的に言えば、長時間のパソコン作業、通勤ラッシュにもまれながらの生活、食事など…



それらを排除してもし改善するのならば、無理にその環境に身を置く必要はないと思うのです。以前にも書いたように「東京」という場所は刺激に満ち溢れ、色々なものを僕に与えてくれました。交通も便利だし、おいしいお店もたくさんある。しかし、最近そこにいる自分がなんだかいきいきしていないような気がしてなりません。



満たされすぎて感覚がマヒしてしまったのか、己の中に違った価値観が生まれたのか。



これは少しじっくり時間をかけて考える必要があると思っています。



2010年5月22日土曜日

紙媒体のこれから。

今朝の朝刊にipadで講談社が京極氏の作品を発表するという記事が載っていましたね。



これから先、本がなくなることはありませんが、ユーザーが小説という「情報」をとるか、本という「作品」をとるか興味深いところです。



というのも、本には表紙があり、サイズ(デザインと言っておきましょう)があり、著者と出版社の共同作業の末できあがります。もはや当たり前となった携帯小説などは、情報の「コンテンツ」の一部としか私は捉えていません。音楽配信なども同じです。



アナログ人間と言われてしまえばそれまでですが、一つの端末にすべての情報が集約できてしまうことは、カタチで保存するというこれまでの文化が失われてしまうことになります。



思い出の写真を誰かからもらうとして、「じゃ、ファイルで送っておくから」と言われたらさびしくありませんか?例えかさばったとしても、手に取りその重みを実感できてこそ感動もひとしおだと思うのです。



時代の流れとともに消えていってしまうものは確かに存在します。



しかし、その基準をただの利便性や合理性だけで判断してほしくないものです。







下の写真はこの前行った、みなとみらいの夕暮れ時です。



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2010年4月20日火曜日

脱「東京」

今週もはじまりました。



木曜日、浦和に行くのやだな~。ほんと遠いんだよ、あそこは。



今日はピッツァと赤ワインを頂きました。でも、あいかわらず酔いません。酔いません。



来年以降の話だけど、首都圏を出ようと思う。



今のマンションの契約が切れたら、どこか地方都市で暮らしてみたい。



個人的に九州で暮らしてみたいな。



あ、最近「らじろぐ」やっていなくてすいません。



結構、家を空けていたり、出張にいっているので。



GWあたり、朝までしゃべりまくろうか。



そんなに聴きたくない?すいません…。



2010年2月14日日曜日

コトバを探究する。

連日連投です。つまり今「ひま」ということです。



実はWEBでのライターの仕事を辞めたんです、昨日。



去年からの流れで収入がないと家賃とか払えないので、とりあえず自分のスキルが行かせる物書きの仕事ならっていうことでやっていたんですけど…。



今年に入ってNPOでの繋がりが広がっていくと同時に、自分のなかで創作への欲求が高まっていきました。ライターという仕事はあくまでもクライアントがいて、その要求を満たす文章を書くことが第一。そこには主観とか自分のオリジナリティを出してはいけない。よっぽど有名になれば自分の好きなものを書かせてもらえますが…。



自分が物心ついたときから、創作というものは生活の一部でした。小学生のときは学校から帰ってくるとひたすらマンガを描いていましたし、中高も写真を撮ったり、映画を見たりして、常に刺激がありました。



大学受験のときに完全に自分のなかでは「普通の生活」を捨てる覚悟で受験したのに、いざ大学卒業のときにはちゃっかり会社に就職して、そつなく仕事をこなそうとしていました。



結局、体調を崩したりしたのもそういう心の中での矛盾が大きかったから、拒絶反応として、症状に現れたような気がします。そして、今10代の時の気持ちを思い起こしてみて、「何がやりたいんだ?」って自分に問いただしたら、やっぱりストーリーを紡ぎだしたり、歌をうたったり、自己表現を思いっきりしたいっていう処に戻ってきてしまったんです。



とりあえず、これを自分のなかで整理をつけない限り、どんな仕事をやっても頭の片隅にいつもこの想いがまとわりついてくるんだろうなと思った瞬間、じゃ、やろうと決心したわけです。三つ子の魂百までとはよく言ったもんです。



今、目標にしているのはとにかく作品をひとつ完成させること。それも「もう何もアイデアでてこないよ」ってところまで突き詰めようとおもっています。



甘ちゃんの僕なので、厳しい環境に耐えることも大事なことではないかなと思うわけです。



2010年2月10日水曜日

立松和平さんを偲ぶ

僕が立松さんとお会いしたのは、3年前。鎌倉のあるお寺だった。



講演で来ていた立松さん。檀家として話を聞きにいった僕は休憩中に声をかけ、ちょっとした雑談をさせてもらった。



その前から、僕は立松さんの語り口調とその温和な性格に憧れていた。



自然を愛し、環境問題に警鐘を鳴らしていたその姿は今も鮮明に覚えている。



本当に大好きな作家さんでした。あのときお会いできたことを本当に感謝しています。



ご冥福をお祈り申し上げます。



2010年1月1日金曜日

謹賀新年2010

皆様、明けましておめでとうございます。



本年も変わらぬご愛顧の程、よろしくお願い申し上げます[E:fuji]



え~、初詣から帰ってきまして、もうお酒が入っております。



雑煮、饅頭、アルコールと訳のわからないメニューになっていまして、



「もう、寝るか」



という雰囲気です。



昨日は万全を期して、0時前に就寝。



今朝は危なく寝坊するところでしたが、なんとか初日の出を拝むことができました。



今年も健康第一で過ごして参りたいと思いますので、よろしくお願い致します。





元旦