2010年5月22日土曜日

紙媒体のこれから。

今朝の朝刊にipadで講談社が京極氏の作品を発表するという記事が載っていましたね。



これから先、本がなくなることはありませんが、ユーザーが小説という「情報」をとるか、本という「作品」をとるか興味深いところです。



というのも、本には表紙があり、サイズ(デザインと言っておきましょう)があり、著者と出版社の共同作業の末できあがります。もはや当たり前となった携帯小説などは、情報の「コンテンツ」の一部としか私は捉えていません。音楽配信なども同じです。



アナログ人間と言われてしまえばそれまでですが、一つの端末にすべての情報が集約できてしまうことは、カタチで保存するというこれまでの文化が失われてしまうことになります。



思い出の写真を誰かからもらうとして、「じゃ、ファイルで送っておくから」と言われたらさびしくありませんか?例えかさばったとしても、手に取りその重みを実感できてこそ感動もひとしおだと思うのです。



時代の流れとともに消えていってしまうものは確かに存在します。



しかし、その基準をただの利便性や合理性だけで判断してほしくないものです。







下の写真はこの前行った、みなとみらいの夕暮れ時です。



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