2014年4月24日木曜日

自己中心的。だからなんだ!

自己中心的。

これをあんまりいい意味で使う人はいないよね。

私も、言われたらあんまりいい気分はしない。

でも、歳を取ると内心、自己中万歳、自己中最高!と思っている。

協調性は大事だが、今の社会はそんなことやってたら心が擦れる。磨耗する。

みんな一定の距離から内側は他人を入れようとしない。

そのくせ、傷つく言葉を平気で吐く。

ぶん殴ってやりたいような奴、何人も見てきた。

おまえはそんなこと言われて心が折れないのかよ?って。

頑張りすぎたら、「はい、お疲れさん」って言われてそれでおしまい。

誰も守ってくれない。

だから、おおいに自分の主張を通し、大いに胸を張って道のど真ん中を歩く。

それぐらいしなきゃ、もったいない。

そんなことできたら苦労しないよ。

まわりはそう言う。

じゃあ、苦労しっぱなしでいいのか?

どっかで、変わらなきゃ苦しくなるのを分かっていても?

でも、立場の弱い人や自分がなんらかの部分で強く言える側の人間だからといって、自己中やってんのは恥ずかしさの極み。自分の居ないところで笑われてるよ。

「きれいごとばかり言ってんじゃない」と人はいうけど、そもそもそんなことを言われる筋合いは1%もない。そう思って大丈夫。

この時期、なんだか疲れがどっとでちゃうんだよね。新しく環境が変わった人は。

ぜんぜん問題なあーーーーーーーいっ!!!

僕はずっと疲れっぱなしです(笑)

2014年4月6日日曜日

体の隅々まで空気を溜め込む。そして吐き出す。

年度初め。先週はまったく、さっぱり、やけっぱちだった。

スタッフがインフルエンザでダウン。

その影響が関係あるのか、だるい、足の爪真っ青、睡眠不足でフラストレーションMMMAX!!!

低空飛行どころか一旦着地して、横になってしまったよ。

この手の記事を書いているときは、かたちに残るブログに自分を奮起させる内容を書いて、なんとか羽をぱたぱた動かせるように頑張っているときです。

おおきく深呼吸して、おおきく息を吐いて~。

おし!もう大丈夫だ!

2014年4月5日土曜日

4/13 in 代々木公園

これまでここでやっていたので、結局代々木にしました。

会食に関して興味のある方は是非。

なお、参加者のなかで女性が1名だけの場合は行いません。

未成年者の参加もご遠慮ください。

14:00~を予定しています。
雨天中止。

できればツイッター、もしくはGoogle+からお問い合わせをお願いします。

@souzou2008(Twitter)

2014年4月3日木曜日

作家と読者


書物、出版物というものは形あるものを言うのか、そのコンテンツを指すのか。
 

私はここ数年、電車でサラリーマンが週刊誌を読む姿、学生が漫画を読む光景をほとんどみない。
 
しかし、彼らは「読書」はしている。勿論、全ての乗客が読書をしているわけではないが、デジタルコンテンツを読み、それを情報源の主としている。

この事実は日常生活に殺伐とした無機質な感覚を植えつける。傍からみれば、何を読んでいるのかはわからない。完全な「個の空間」をこの十年で我々は手に入れられる環境になった。

活字だけでなく、音楽、映像といったコンテンツそのものだけを抜き取って楽しむという慣習が当たり前になってしまうと、これまでのようにいくつもの行程を経て世に送り出されたものに比べ、「深み」がなくなる。ワインをじっくり熟成させるように、できあがった作品に様々な装飾、または肉付けをしていくなかでクオリティー、完成度は増していった。それをなくして、いきなりメインディッシュだけというのは味気なく、非常に希薄なものに映る。

創り手側は常にニーズを先読みし、先手を打とうと必死なわけだが、その競争に終わりはない。その結果、作品の主導権は作家ではなく、読者に移ってしまった。ここに作家のジレンマが生まれた。時間をかけて創作することが制限される。よほどの大作家なら話は別だが、世の中に供給される作品数が飽和状態の為、常にスピードが要求される。かつてはそこを少なからず出版社がコントロールしていたが、ネット媒体によってその調整弁もなくなった。

数多の新人賞から作家が誕生し、消えてはまた生まれる。文学界の新陳代謝は一見正常に機能しているように見える。しかし、その機能はもはや形骸化していると言ってよい。分かりやすい例を挙げるならば、芥川賞・直木賞であろう。これらの賞を受賞したからと言って、作家としての将来が約束されたわけではないが、後の作品がコンスタントに発表できていても、読者と「線」では繋がっていない。あくまで、受賞時の瞬間最大風速のような圧倒的情報量のなかで手に取ったに過ぎず、それが一過性ではなく、継続性を持って読者との繋がりを維持している作家は近年、稀と言ってよいだろう。

これを業界は衰退、不況だといい作家の鍛錬を怠った。作品を発信する場を勝ち取ったはずなのに、満足にそれができない。勿論そこには完全実力主義という原則はあったとしても、出版社(編集者)は作家の可能性を最大限引き出す義務がある。これが媒体の多様化によって、作家を養う眼が分散してしまう事態を生んだ。作家はセルフプロデュース能力が高くなければ生き残れなくなり、編集者としての視点を持てる者が新しい時代の作家像を形成していった。