2021年10月4日月曜日

多様性という義務感

 SDGsをしっかり理解しようと思って一般的な知識をまず知ろうと頑張っている。

「持続可能な社会」が今後、世界(地球)にとって重要なのはよくわかる。マイノリティの人達も徐々に声をあげやすくなり、これまで知らなかった世界が我々の価値観を広げた。

さて、この多様性を受け入れる前に困惑している人たちがいる。中高年の方々だ。別に肩を持つつもりはないが、若かりし頃はタバコも気兼ねなく吸え、ざっくばらんに社会にもの申した。

「〇〇ハラ」も最初はセクハラぐらい知っておけばよかったが、今はいくつあるのか正確には把握できない。相手が嫌、個人の尊厳を傷つけるものはとりあえずハラスメントなわけだ。

だが、僕にはどうもこの多様性なる言葉だけが先行し、ギクシャクな人間関係を生み出しているような気がする。相手への距離感が分からず、びくびくするような感覚。

「まあ酒でも一杯!」と肩を叩けば、セクハラ・パワハラじゃ少々おじさんたちは可哀そうな気がする。

人間関係だけでなく、「デジタル格差」もスマホについていけない高齢者には優しくないんじゃないのか?ちょっと前まで電話でも用足りたことが、いきなりスマホオンリーはスピード感ありすぎるだろう。

ひとりひとりが困っている人を助けるのが多様性ならば少しの価値観や慣習の違いも寛容になってあげて欲しい。