2008年7月25日金曜日

九州縦断旅行~福岡編~

7月15日



深夜の騒音のおかげで目覚めはか・な・り悪かった。しかし、そんなことを言っている場合ではない。9:00には太宰府行きの電車が福岡天神からでてしまうのだ。



そう、最終日は太宰府に行くことにした。そして、もう一箇所絶対、行きたかった場所。それは、「九州国立博物館」。全国で4番目にできた国立博物館だ。太宰府天満宮と国立博物館博物館は隣接しているので、この日は一日中、太宰府に居座ろうと思っていた。



太宰府駅に着くと、なんだか見覚えのある景色…。あの看板、あのお店…あーーーーっ俺、一度来たことあるじゃん!!!しかも、誰と来たって、あんた元カノとだよ(苦笑)。そう、僕は確かに来ていた。学生時代に。あの頃この地で二人で願った願い事も叶わず、いまここにこうしてひとりで太宰府の地に立っている俺…。



そんな過去の出来事は胸の奥にしまって、さっそく天満宮を参拝することにした。昨日とは打って変わって、9時台だというのに、やたら中高年がうろうろしている。やっぱり、菅原道真公はすごいんやな~。境内を散策し終えて時計を見ると10:00。あかん、博物館が既に開館しているではないか!博物館へと通じる、超巨大連絡エスカレーターにのって、いざ、「キューハクへ♪」



エスカレーターを降りると、目の前にブルーのガラス張りでできた、今にもこちらに迫ってきそうな勢いの建造物がそびえ立っていた。すさまじい迫力!しかし、ちょっと周りの景観とマッチしていないかも…。



今回、キューハクではなんと企画展で「島津の国宝と篤姫の時代」が開催されていた。きたきたきたきたーっ!結果、残りの午前中の時間を常設展示に充て、昼ごはんを食べてからゆっくり企画展を観ることにきめた。



館内全体を見渡せるエスカレーターに乗って、常設展フロアへ。この日は修学旅行の学生がそこらじゅうに溢れ、中には韓国からきた集団もいて、引率の先生の怒号と日本の学生と韓国の学生の喚き声が飛び交っていた。ハングル語は何言ってんだかわかんねーし。まあ、それはそれとして、展示ブースに入ってみると、これまたデカイ!九州にきて、何度「デカイ」を連呼したことか。常設展示(文科交流展示)のテーマは、「海の道、アジアの路」。旧石器時代から江戸時代までバーチャルシアターや模型などを交えながら日本文化の形成をアジア史的観点から捉えている。あまりにも展示数が多すぎて、メモでもしないと頭が混乱する。印象的だったのは日本の陶磁と韓国の陶磁の比較。艶やかな日本の陶磁器に対して、韓国は基本、まっ白。かすかに青みがかってはいるが、逆にあそこまで何も彩色されていないと、磁器の神秘性を感じる。そのほかには、遣唐使時代に使われた唐の古銭や古墳から出土した金印などが興味深かった。



結局、観終わったのが13:30。博物館の外にあるレストランで昼食をとることにした。そのレストランは某有名ホテルがプロデュースしていて、お値段もちょっと高め、しかし、他に食べるところがなかったので、渋々入ることにした。



昼食を済ませると、いよいよ本日の目玉、「島津の国宝と篤姫の時代」だ。再び館内に入り企画展示室のフロアへ。もうすでに、さっきの修学旅行生の集団に加え、オバサン軍団が少しでも前に進もうとスクラムを組んでいた。人の隙間を掻い潜りながら、必死に展示物を観る。



島津家は鎌倉時代、初代島津忠久を祖とする。歴代亀鑑(れきだいきかん)をはじめ、豊臣秀吉朱印状(とよとみひでよししゅいんじょう)、薩藩勝景百図(さっぱんしょうけいひゃくず)、南島雑話(なんとうざつわ)、大奥向惣絵図(おおおくむきそうえず)、などなど国宝がずらりと並ぶ。これらは島津家700年の永久保管文書であり、いかに、長きに亘って時代の権力者と密接な関係を築いてきたかをこれらの展示物からうかがい知ることができる。その他に対外交流としての島津家の役割、篤姫のゆかりの品などが展示されている。あまり、書いてしまうとつまらないので、このへんでおしまいにしておきます。



たっぷり観て回ったあと、おみやげを買い福岡に戻ることにした。まだ、観ていないものがあったのだ。



16:00。福岡天神駅に着くと観光案内所に向かった。福岡にきて、しかも日付は15日。「あれ」がやっているではないか!それは「博多祇園山笠」だっ!今日が祭りのフィナーレ。受付のおばさんに何時から始まるのか尋ねたところ… 衝撃の言葉が返ってきた。「あれ?お兄さん何言ってんのとっくに終わっちゃったよ~。」「え?終わった?4時から始まるんですよね?」「あはは、何勘違いしてるの朝の4時だよ。たまーにいるんだよね、間違えちゃう人。」



朝の4時だとーーーーおっ!!!



聞いたことないぞ、そんな祭り。昨日博多駅でチェックしたのはなんだったんだーーーー!!!!!!



そういえば、深夜のあの騒音、人の声、もしや!!!!!!!



おばさんに山車のルートを見せてもらうと、確かに俺が泊まったホテルの前を通るではないか!



おーまいごっとっっっ!!!



なんとしたことか・・・ おばさんは今から出発地点である櫛田神社にいけばまだ山車が観れるかもしれないと教えてくれ、ついでにと「博多祇園山笠ガイドブック2008」とうちわをくれた。あ、あ、ありがとう、おばさーん(泣)でも、もう終わってるから…



泣く泣く、僕は櫛田神社に行くことにした。西日が僕を真っ赤に染める。



歩いて15分ぐらいのところに神社はあった。境内に入ると、あったよ山車が。周りには俺と同じミスをした仲間だろうか、しきりに山車の写真を撮りまくっている。お参りをしたあと、この期に及んで俺は巫女さんに詰め寄った。「なんで、山笠はこんな朝早いんですか?」迷惑そうな表情を浮かべる巫女。「伝統ですから・・・」分かってるよ、そんたことわ。告知が不十分じゃないのか、告知が!「あのー、僕時間勘違いしていて、夕方の四時からやると思っていたんですぅ」。すかさず巫女。「いるんですよね~そういう方。残念でしたねー。」もはや、俺と会話をすることを拒んでいるぞ、この巫女は!抵抗空しく、神社をあとにした。



飛行機が出発するまであと3時間。最後に僕は関東でも有名な「一風堂」博多本店に立ち寄った。九州最後の食事だ。看板を写真に撮り、店内に入ると客はひと組だけ。そりゃ、6時だもん少ないはずだよ。シンプルに白玉を頼み、ラーメンが出来上がるまで、店員のお姉ちゃんと喋っていた。やはい、全国展開しているとはいえ、店によって味が違うらしい。こんど湘南に新しい店がオープンすることも教えてくれた。そうこうしているうちにラーメンが運ばれてきた。透きとおった、乳白色のとんこつスープ。麺も博多独特の細麺だ。スープを一口飲んだ瞬間、胃に沁みわたる。チャーシューもほどよい柔らかさ。あっという間に完食してしまった。店を出る最後に初代本店の看板をバックに写真を撮ってもらい、飛行機のなかで是非と飴をもらった。



ありがとよ。



地下鉄で空港に向かい、お土産などを買っていると、出発時刻の時間はすぐにやってきた。



五日間、調子を崩すことなく、無事九州各地を回れた。4年ぶりのひとり旅は最初どこか不安だったけれど、こうして帰宅の途に就くとなると、なんだか達成感で胸が一杯だ。夏の九州の太陽は僕を元気にしてくれた。この元気をカラダいっぱいにため込んで、また東京での生活を頑張ろうと思った。最初に掲げた目標も達成できたことだし、言うことなしだよ、今回の旅は!



20:40 福岡空港をあとにする。グットラック九州!






2008年7月24日木曜日

九州縦断旅行~熊本編②~

7月14日



この日はフリー切符を買わず、熊本市内周辺を周ることにする。まず、はじめに行ったのが「水前寺成趣園」。細川家ゆかりの桃山式回遊庭園。で、着いた時刻が午前9時。観光客0。ほんとに誰もいない!ひたすら気温が上昇するのを実感するだけ…庭園内を周りつくして、時計を見ると9時30分。おいっ!!!終了~



入り口のおばさんのところに行き、近くにある「熊本洋学校教師ジェーンズ邸(夏目漱石第三旧居)」に観に行ってきてもいいかと聞いたら、再入園しても良いというので、そっちに向かうことにした。しかし・・・定休日。仕方がないので門の隙間から邸宅の写真を撮ることにした。たまに通り過ぎる通行人からは不審な目で見られ、向い側にあった幼稚園の園児がこちらを見ているのが明らかに分かった。その視線、痛すぎるぜ!!!また、あの庭園に戻っても灼熱地獄が待っているだけだし、どうしようかと悩んでいたら、市電の一駅先に「近代文学館」があった。どうやら、定休日ではないらしい。よっしゃ、行くべと思ったら、そういえば今日はフリー切符持っていないんだった。じゃあ、歩くしかない。途中、道に迷いながら360度太陽の光と熱が体に照りつけ、朝買った500ミリのペットはもう空になっていた。



歩くこと20分。ようやく近代文学館に着く。看板には入園料「無料」の文字が!タダほど嬉しいものはない。



館内に入ると、熊本で生まれたり、活躍した作家のパネルが関係資料と共にズラリと並んでいた。無料の割には充実している。知っている作家はほとんどいなかったが、横溝正史の特集コーナーや夏目漱石のブースは興味深かった。そして、もう一人まさかこの地でこの名前を聞こうとは、という作家が紹介されていた。その名は「内藤 濯」。あの「星の王子さま」の最初の翻訳者だ。なんで、僕と内藤 濯が関係があるかというと、以前僕は星の王子さまのライセンス管理の会社で働いていたから。内藤さんの息子とも話をしたことがあるし、色々とその節はお世話になったんです、はい。職員の人が建物の裏側に記念碑が建てられていると、教えてくれたのでせっかくだから見に行ってみた。その碑はこじんまりとしていたけど、星の王子さまと一緒に微笑んで刻まれている内藤さんの顔はずっと僕らを見守っているようでした。



なんだかんだで一時間以上、文学館にいた僕は庭園に戻ることにした。なんで、わざわざ庭園に戻るかというと、庭園内のお店にそうめんをだしているところがあったから。九州に来てからひつこいものばっかり食べていたので、どーしてもそうめんが食いたかったのだ。



庭園内のそのお店に入り、即効でそうめんを注文。出されてからわずか5分で完食。こんな、そうめんってうまかったんだ。いつも家で食べているときは、そんなにうまいと思わなかったけど…



もうこの場所に未練はない。市電に乗り込みいざ、「熊本市現代美術館」へ向かう。



熊本市現代美術館は繁華街のど真ん中にある超モダンな美術館だ。しかも、またまた入場料無料!



館内は図書館と美術館を足して2で割ったような独特の空間だった。ふらふらと館内を回っていると映像コーナーが。とりあえず、どんなものをやっているのかな~と見てみたら、ろう者(聴覚障害者)のドキュメンタリー映画があった。最初はちょこっと観ておしまいにしようと思って観始めたら、どんどんその作品に惹きこまれていった。ストーリー自体はろう者の日常風景をただ撮り続けているだけなのだが、インタビューのシーンで親から最初、耳が聞こえないことに気づいてもらえず、自閉症と間違われ精神病棟に送りこまれた人の話や、親族の5親等以内がすべてろう者という若者の話など、我々健常者では信じられないような現実が実際に起きていることに衝撃を受けた。印象的だったのは「私もろう者として生まれてきたかった」と語った健常者の女性。その女性の家族は彼女以外全員ろう者で、兄弟の旦那さんや奥さんも皆ろう者という、完全な「ろう家系」。家族とコミュニケーションを取るたびに自分は孤独を感じるのだという。そして、親も出産のとき、ろうであることを願ったという。こんないびつな愛情が生まれてしまった家族に、彼女がいる場所はなかった。結婚も然り、ろう者はろう者をパートナーとして迎え、健常者と結ばれるケースは稀だという。その子供もやはり、ろうの確率が高いのだという。こうした、閉鎖的な社会環境で生活する彼らは、表面上は健常者との共存を望んでいるようにみえるが、本音は「ろう社会」での安息を求めている。



僕は職員の人にこの映画はどこかで手に入らないか?と尋ねたが、あいにく外国の作品でネットでも販売されていないらしい。正直いって、この旅行のなかで一番印象に残った出来事だった。



予定に反して、丸々一本映画を観てしまった僕は、福岡に向かう高速バスに乗るため、急いでバスセンターに向かった。出発時間ギリギリに着くと、手荷物をトランクへ積み込み、この旅の最後の目的地福岡へと出発した。



福岡の博多駅に着いたのは午後5時過ぎ。ターミナルには明日行われる博多祇園山笠の山車が飾ってあった。この後、予想もしない出来事が待っていることも知らず、僕は今晩泊まる、ホテルを目指して歩きだした。歩くこと20分。どーしてもホテルが見つからない。地図上では絶対に間違っていないはずなのだが…辺りをうろうろしているとキャリーバックをもった外人が自動ドアの中へ消えていくのが見えた。もしや。横断歩道を渡り、その建物に行ってみると…。あった!今晩泊まるホテルだ!看板は…ある、あるがすんげえちっちぇい!両隣の巨大ビルに挟まれ、申し訳なさそうにたたずむホテル。これじゃあわかんねーよ。



室内も激狭!窓からはビルの壁があと数センチというところまで迫ってきており、採光まったくなし。かるーい牢屋だね、ここ。夕飯は近くにあるキャナルシティ内の、栗原はるみがプロデュースするオシャレなお店へ。客層女性9割と圧倒的アウェーのなか、ビュッフェ形式だったので食いまくった!久々に家庭の味を食べた気がした。栗原はるみ、ごちそうさまー☆



部屋に戻りクタクタになった僕は明日の準備を済ませ、風呂に入りとっとと寝た。時刻11時。













ズゴゴゴゴゴ!ガタガタガタガタガタガタ!深夜、3時過ぎ、けたたましい音が鳴り響いた。



「何だ、何が起こったんだ!?」窓を見るもビルの壁。全く状況がつかめない。人の声もする。



騒音は30分ほど続き、止んだ。九州最後の夜はなんとも落ち着かない心境で過ごすこととなった。



→福岡編に続く



2008年7月22日火曜日

九州縦断旅行~熊本編①~

7月13日



午前9時過ぎ、鹿児島中央駅に向う。これから九州新幹線「つばめ」に乗って熊本へと移動する。



駅に着き、改札を抜けると九州新幹線のホームを案内する看板が。これで、全国全ての新幹線に乗車することになる。まあ、これから新しい新幹線が出来ていくんだろうけどね。



ホームには流線型をした新幹線「つばめ」がとまっていた。かっこいいね、このデザイン!車内清掃が終わりさっそく乗り込むと車内は木目調のクラシックなデザイン。座席の幅もゆったりしていて、なかなか快適だ。僕は熊本に向かう途中、ずっと新聞を読んでいた。なにせ、初日からまったくテレビ、インターネット、新聞等を見ていなかったからだ。どうやら、この三日間日本は平和だったらしい。



一時間半弱で熊本駅に到着。駅前のホテルを予約しておいたので、手荷物を預けにホテルに向かう。今夜泊まるホテルはやけに道から奥まったところに建っていた。外観もさびれている…まあいいや。



荷物を預け、目指すは「熊本城」!改めて言わせて頂きますが、私、だいの城好き、超超超…城マニアなのであります!市電、市バス一日フリーパスを買い、いざ本陣へ~



熊本駅から市電で10分、熊本城に着いた僕は加藤清正公像におじぎをしながら天守閣を目指す。すると、すぐに櫓が見えてきた。「おっ、あれか?いがいと普通の大きさだなあ」と思って歩いていると 「→熊本城」の看板が。坂道を歩いたその先には漆黒の城郭が目に飛び込んできた。この旅行2回目の「でけーーーーーーーーっ!!!!!!!!」である。城がでかいのはもちろんのこと、大小天守閣をはじめ、櫓(やぐら)49、櫓門18、城門29という圧倒的広さ。東京ドーム21個分という目がくらむようなスケールの大きさに早くもボルテージはMAXへ!!!当然、全部回りました。天守閣からスタートし、日本唯一の地下通路「闇り御門」、本丸御殿、宇土櫓…確か午前11時に入門して、でてきたのは午後3時。軽い脱水症状を起こしながらも熊本城を制覇する。みなさい、一度。すんごいから!で、立て続けに隣接する細川刑部邸へ。ちょっとこの辺、記憶飛んでます、たぶん素敵なお屋敷だった。(後日、写真にて確認)



昼ごはんを食べていなかったので、細川邸で近くに食事できるところはありますか?と聞くと、「ありません。街まで戻るしかないですね」ときっぱり。やむを得ず市電に乗り、繁華街へ。で、入ったお店が熊本ラーメンと言えば、そう「桂花」!東京でも有名ですよね~。一度は食べてみたいと思い、やっと食べられるよ~♪シンプルに「桂花ラーメン」を頼む。数分後、運ばれてきたのだが…。ぐへっ!強烈なにんにく臭!普段なら「あら、いい匂い」のはずが、4時間以上炎天下にさらされていたせいで、吐き気が。なんとか口に入れようとするが、キツイ!!!麺とチャーシューは食ったが煮卵がどーしても食えんかった。ごめん、店長…



このあと足早に「夏目漱石内坪井旧居」、「小泉八雲旧居」を回る。閉門時間ぎりぎりで入館したので、ろくに資料が観れず、唯一、感動したのは夏目漱石の旧千円札の通し番号「4番」のお札。1番は日本銀行、2番は夏目漱石の生家、3番は愛媛県の松山市にあるんだとさ。八雲に関してはほとんど記憶なし。小学生が書いた、手書きの自由研究発表のようなものがいくつもあって非常に解りづらかった。いや、批判しているわけではないよ。それはそれで、いいと思う。うん。



午後五時を過ぎ、一旦ホテルに戻ることに。荷物を整理し、フロントで今夜おいしいものを食べたいんだがと聞くと、「この周辺にはありませんねー。」ここもかっ!!!結局、また市電にのり繁華街へ。ずーっと、肉、肉、肉だったので、今宵は寿司を食べることにした。この時点で今夜はいくら払ってもいいと思っていた。入ったお店は郷土料理も食べられる「青柳」。店に入ると、なんだか店内は混雑している。店員が「カウンターでよろしいですか?」と聞いてきたので、カウンターに通された。普通、カウンターは一人用の席が並んでいるのに、なぜかこの店の席は二人掛け。中途半端に座った僕は握りと、細巻きを注文した。それから2、3分後。店員がご相席させて頂いてもよろしいでしょうか?」と言ってきた。「相席!?」一瞬、頭の中が真っ白になった。急に心拍数も上がってる。いっそ、店を出ようかと思ったが、板前が目の前で握り始めている!「もういいっ!どうにでもなれ!」結局、相席を承諾した。



隣に座ったのは50代前半のオジサン。最初はどちらも話さず黙々と箸を進めていたが、ちょうど細巻きが出されたので、僕はそのオジサンに「おひとついかがですか?」と勧めた。オジサンは申し訳ないと言って断ったが、それがきっかけでオジサンも僕に話しかけてきた。気がつけば、緊張もだんだん治まってきていて、寿司が喉を通るようになっていた。で、そのオジサン、聞くところによると九州国立博物館の建設に関わっていたらしい。最終日、僕が国立博物館に行く予定だという話をすると、色々、裏話や効率よく周れる方法を教えてくれた。結局、二時間近く、オジサンと談笑し、時計は夜の9時を回っていた。



とんぼ返りで、ホテルに戻り明日の準備をする。熊本の夜は想像以上に蒸し暑かった。



→熊本編②に続く









2008年7月21日月曜日

九州縦断旅行~鹿児島編②~

7月12日



我々はまず、知覧特攻平和祈念館に向かう。朝からオモイ…。知覧は太平洋戦争末期、陸軍の特攻基地がおかれた町だ。館内に入ると壁一面に特攻兵の遺影の写真が。靖国神社を思い出した。ハンカチで目頭を押さえ泣いている人。特攻隊について熱く語るお年寄り。正直、すご~く気分が暗くなった。戦争ってつくづく無益な行為だなと感じた。(写真は一枚も撮らず) 外に出ると、地元の女子高生がお茶を淹れてくれるというので、別館へ。このとき、ほんと今の世の中平和だな~と思った。茶菓子もついて、女子高生の笑顔に元気づけられた我々はメインの知覧麓の武家屋敷群に移動した。



武家屋敷群は「薩摩の小京都」と言われ、薩摩独特の石垣と生垣からなる景観が観る者を江戸時代にタイムスリップさせてくれる。まず気付いたことは、電線が一本もない!この辺一帯は地下に埋まっているのだろうか?そして、生垣が異常に高い。外からは全く中の様子を伺い知ることはできない。さっそく、庭園に入ってみると、確かに優雅なのだが若干狭い…。このあと7件近く周ったがどれも似たような造りでちょっと迫力に欠けた。でも、薩摩の息吹を感じるには絶好の場所だと思う。



お昼は手打ち蕎麦を食べる。ここでもやっぱり肉、肉、肉。いいんだけど。



午後は「仙巌園」へ。ここは19代島津光久が建てた別邸で、桜島を築山に錦江湾を池にみたてた雄大な借景庭園である。ここで、僕は鹿児島市が募集していた俳句、短歌に応募することにした。桜島を眺めながら約10分。我ながらいい歌ができたと思い、父親に詠んで聞かせると一言、「つまんねー歌だな」。喧嘩売ってんのか親父(怒) 邸宅である「磯御殿」を案内してもらったあと、本日二回目のお茶を頂くことに。う~ん、島津って感じのお味でした。そのあと、隣接する尚古集成館へ。ここで、僕は薩摩藩、いや島津斉彬の時代をみる先見性に驚かされたのでした。まあ、ひとことでいうとあの当時、既に斉彬は幕藩体制の維持よりも、いかにヨーロッパ諸国と対等に渡り合えるかということを考えていたわけです。幕府は衰退の道を進んでいたため、「だったら薩摩が軍艦とか武器を作りましょう」と斉彬が先頭に立って事業を進めていったのです。皮肉にもその軍事力は倒幕のさい、圧倒的な力の差を見せつけることになるわけですが…。



最後に「薩摩切子」の見学工場に立ち寄って、家族とはここでお別れ。この先はひとり旅が始まります。



その夜、ひとりになった僕は夕飯の店探しに苦労していた。なんせ、鹿児島は肉、肉、肉ですから…。



ようやく見つけたイタリアン料理の店にはいって、料理について質問したところ、「え、イタリア語の発音がよく聞き取れなかったわ」とぬかす、オバはんオーナー。僕はブチ切れ、あんた日本人のくせにえらそうなこと言うなと吐き捨て、速攻で店をでた。僕はおとななのでお店の名前は出しません。



10分ほど歩いてまた別のイタリア料理のお店を見つける。入ってみると店内ガラガラ。もう、他の店を探す気力はなかったので、この店で夕飯をとることにした。注文したのはトマトのドリア。運ばれてきたその器をみると…「でけーーーーーーーっ!!!!!!!!」。思わず普通のサイズですよね?と聞いてしまった。そしたら、満面の笑みでうなずいたよ、店員は。当然、食べきれず、かなり胃がもたれた。恐るべし鹿児島!



次の日は朝早く、ホテルを出なければいけないので、10時30分には寝た。



→熊本編①に続く



2008年7月17日木曜日

九州縦断旅行~鹿児島編①~

ただいま~♪



更新ご無沙汰してました。一昨日の夜、福岡から帰ってきました。



11日に出発をして、鹿児島へ。空港から市街地までは結構距離がありました。



今回の旅行で決めていたこと。



①絶対、ファーストフード店に入らない。(マック、ケンタ、モスなど…。せっかく、九州まできてなんでわざわざ食べるんだって話です)



②九州ラーメンを全部制覇する。



③朝、早く起きる。



この三つです。③は日常生活であまりできていないので、あえていれてみました。では、初日から振り返っていきましょう。



7月11日



お昼に鹿児島中央駅(市街)に着いた我々(初日、二日目は、一泊二日で家族同行)は、さっそく「鹿児島ラーメン」を食べることにしました。入ったお店は『こむらさき』。出てきたラーメンは、とにかく豚の角煮のぶつ切りで埋め尽くされていた。一瞬、ひるむも、食べてみるとスープは意外とあっさり。しかも麺はそうめんに近い。今までに食べたことのないラーメンであっさりと完食。



次に我々が向かったのは「桜島」。ここは車がないと回れない場所なので、真っ先に行こうと思っていた。フェリーに乗り、桜島へ渡ると自然の猛威をまざまざと見せつける光景が広がっていた。島を一周しようとしてスタートした直後、目の前に見慣れた看板が。しかし… そこにあったのはチョコレート色をしたローソンの看板。たぶんこの色の看板をしたローソンはここだけだろう。その後。展望台、火山灰で埋もれた鳥居、長渕剛がコンサートをした石碑などを回って、スタート地点に戻る。この時点で3時過ぎていた。しかし、この日はもう一か所行かなければいけない場所があった。『篤姫館』だ。



とにかく、鹿児島は篤姫一色。どこにいっても篤姫のポスターが貼ってあった。我々が向かった篤姫館は大河ドラマに合わせて造られた展示館。たまにしかドラマを観ない僕だが、説明が詳しく書いてあって面白かった。今週から観てみよう。しかも、隣に鹿児島NHKがあるというのがウケル。



それにしても、鹿児島(桜島)というところはなんて雄大なんだろう。幕末、志士たちはこの桜島を見て何を感じたのだろう。国の将来を想い、明治維新へと突き進んだ彼ら。ここにはそんな時代を動かす原動力があるような気がした。



そして、夕飯。もう、鹿児島と言ったらこれしかない!「黒豚」!もうとにかく、豚、豚、豚、なのだ~!!!豚のしゃぶしゃぶを「もういいって!」ほど食べて、一日目は終了したのでした。



→鹿児島編②に続く



2008年7月9日水曜日

ヘルパー2級とこれから

今日、事業所の代表にヘルパー2級を取らないかと言われた。確か、以前にもブログに書いたような気がするが、これまで何度かヘルパー2級の話は出ていた。



僕は最初この話を聞いた時、自分を必要としてくれている、という嬉しさと同時にこの仕事を続けていけるんだろうか、という不安を感じた。障害者介助の仕事を始めて5か月、今もこうして続けているということは、この仕事が肌に合っているんだろう。



家に帰って、さっそく家族にこの話をした。みんな、資格にチャレンジしたらどうかと背中を押してくれた。



現在、僕はライターの仕事を掛け持ちしているので、契約が切れる今年12月まではライターの仕事は続けなければいけない。



すぐにスクールに通うかどうかは分らないが、今年中にヘルパー2級の資格を取るために勉強を始めたいと思う。



その先にはまた新しい出会いが待っているのだから。





2008年7月7日月曜日

平塚七夕祭り

今日は平塚七夕祭りに行ってきました。



小学生からの友達と一緒に行きました。もう15回目になります。



初めて行った時は親からお小遣いをもらって、かき氷や、たこ焼きを食べた思い出があります。そうそう、ちょうどJリーグが開幕した年でサッカー一色だったっけ。



あれから15年、今日はちょっと高級なお店でゆっくり時間を過ごしました。もちろん、七夕の飾りつけは見ましたよ!特に夜は綺麗でした。



彼とは小学生の時、塾で知り合ったのですが、ここまで付き合いが長い友人はいません。共に中学、大学受験を経験し、大学院を卒業したあと現在大手一流企業で働いています。でも、毎回会うと、小学生のころの感覚に戻るのです。



食事をしながら、今年は久しぶりに旅行に行こうかという話になり、来月ひょっとしたら行くかもしれません。





現在、ウィンブルドン男子決勝を観ています。なんでこう今年は長い試合が多いんだ… こないだの全米OPといい。もう寝るか、今夜は…



2008年7月6日日曜日

会食恐怖症オフ会~in代々木公園~

え~、今日はミクシィのコミュ「会食恐怖症」のオフ会が代々木公園で行われました。



久々に参加した訳ですが、中には静岡県からやってきた方もいて、驚いてしまいました。



はなしのメインはどういう環境下で症状が起こるか?ということに時間を割いたと思うんですが、聞いていて感じたのことは、やっぱり皆さん、「食べる」という意識があまりにも日常生活の大部分を占めているんだなあということです。



極端な話、他人と食事をする場合、朝起きてからずーっとその不安に駆られるわけです。



事実、僕もそうでした。いまでもたまに不安に駆られます。



ただ、今日みなさんに伝えたかったことは、症状から逃げていてはいつまでたっても完治はしないんだよ、ということです。僕は今のようにだいぶ他人と不安を抱くことなく食べられるようになるまで、5年かかりました。何度も何度も、自分の不安と恐怖を抱えながら、外食にチャレンジし続けました。そして、ある時突然、違和感なく完食できたのです。



一回、完食できたという成功体験が脳に刷り込まれると、これは大きな自信になります。



たとえ、その後食べられないことがあったとしても、「自分は食べられるんだ」と呪文のように念じることでその不安はだんだんと消えていきます。



完治するまでには個人差があると思いますが、この症状は必ず治ります!いや、治ってもらわなきゃ困る!



それぐらいの強い意志をもってこの症状と向き合っていってください。僕もまだ道半ばです。皆さんと一緒にゴール目指して頑張ります!