2013年12月10日火曜日

ハートネットTV(Eテレ)

「見えない世界に生きる-知的障害の女性たち」

http://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/500/174756.html

このはなしは、就労支援の仕事を始めてから知った。

福祉の世界でも、触れていいのかどうなのか難しいところだ。

なぜならば、自覚している部分が当事者にあり、理由はなんであれ自分の意志で働いている人がいるからだ。

単なる、需要と供給という市場原理だけでは成り立たないところに根の深さを感じる。

2013年12月6日金曜日

隣の芝生ももう枯れ始めた今日この頃。

今でも、
「今度、ヨーロッパに旅行に行くんだよ」
って言うと、「あら良いわね~」と答えが帰ってくる。

まあ、旅行に行くんだから、どこに行っても「あらいいわね~」なのだが、どうも日本人は行く前から肩に力が入って、気合を入れすぎるところがある。

ヨーロッパ、いや欧米と表現したほうがいいだろう。
昔から、それは10年、20年前の話ではなく、明治維新以降、羨望の眼差しで日本は欧米を見つめていた。
全てのジャンルにおいて「世界の~」といわれた人々は=欧米で名を馳せた人のことを言った。
近年、スポーツ、芸術、技術などの分野で、日本人はこの「欧米」というフィールドで目覚しい活躍を遂げている。

しかし、日本人が憧れを抱いているのは景色や建物、欧米人のスタイルのよさではない。
もちろん、それも込みなのだが、肝は「時間の流れ」にある。

築200年なんて家があちらこちらにあることに驚き、定刻どおりに来ない電車に苛立ちを覚え、夕方の4時には店を閉めてしまう商売っ気のなさに唖然とさせられる。


キリスト教において「労働」は罪とされた。
だから、働くことは欧米の人々にとって美徳ではない。
日本人は、勤労勤勉。働くというよりも、常に何かに勤しむことが美徳とされた。
この異なる価値観のなかで、ふと我が身を置いたとき、日本人は時の流れに戸惑いに似た感覚を覚える。

よく、海外にいったらのんびりとした生活が送れるという人がいるが、こと仕事に関しては日本よりシビアである。
契約社会の欧米において、結果を出せなければ即クビ。
会社に所属するのではなく、自分のスキルを高く買ってくれるところに雇われる。帰属意識がないからサービス残業という発想はない。あくまでも自己責任という意識が強い。

物事を良い、悪いで判断すると、価値観の変化によって常に流動的になる。
今はあの会社は年収300万だといって見向きもしないのに、5年後800万だと聞きつけると、とたんに目の色を変える。
そりゃ、高い金をくれるんだったら当たり前だろうという声はおっしゃるとおり。
しかし、300万のときからいた人間はお金ではない「何かに」魅力を感じその会社に入った。
出世するかしないかは別として、長くそこに居続けるだろう。

落語の大名人古今亭志ん生も、息子の志ん朝に「とりあえず3年やってみろ。そしたら噺のおもしれえところがわかってくる」と言ったそうだ。
3年でつまらなかったら辞めようとおもっていた志ん朝も、気づけば落語のおもしろさに取り込まれていった。

友人の外人に日本について聞くと、的確に良し悪しをついてくる。
灯台もと暗しのものもあれば、「あー、やっぱり世界中誰が見てもいいもんはいいのか」と再認識させられるものもある。

そんなことを考えながら、年末年始にどっか旅行に行きたいなと思ったときに、我が家でごろごろテレビを見て過ごすという案も捨てきれずにいるのである。