2012年12月29日土曜日

2012→2013

今年はとても満足。

「やりきった」という感じ。

来年も今年のように頑張りたい。


いつも、節目に気合いをいれていたけど、そんなことをしなくてもモチベーションを保てるようになった。

だから、新しい年を迎えるからといって、肩に力を入れる必要はない。

今までどおりに自然体でやっていければ大丈夫だと思う。

2012年12月9日日曜日

肉ざぶとん

食べた瞬間、なぜだかこの言葉が浮かんだ。

噛むと同時に甘く、透き通った肉汁が口のなかに広がり、ほどよい弾力を保ったまま噛み切れる。

「うおッ!」と吠えた。

同時に「これ、肉のざぶとんだね。」と訳のわからない感想を口にしてしまった。

それほど、いままで食べたことがない「とんかつ」だった。

お店によってとんかつの味は違うけど、分厚いロース肉があんなにやわらくなるもんか?という点でびっくりした。

漬物もおしんこ、らっきょ、キムチとあり、最後にうめじそのお茶がでてくるのがありがたい。

御飯も白飯としそ御飯をえらべるので、わたしは白飯2杯、しそ御飯二分の一杯食した。

まあ、テンションあがりっぱなしで食べていたので、その「興奮」をぜひ一度味わって頂きたい。

 
 
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 「かつ吉」 新丸ビル店
電話番号03-3211-6655
 

2012年12月2日日曜日

痛みやつらさは皆同じ重さ。

すごくつらい、苦しい。これ誰でも経験したことあると思うんです。

その時は、今世界で一番自分がつらい想いをしていて、誰にもそのつらさはわからないんだ!

それは間違いじゃないと、いつも思ってます。

周りがくだらないと思うようなことでも、その人にとってその悩みが一番優先される問題である以上。

だから、あんまり簡単に軽い言葉を投げないようにしています。

逆に人間はその悩みを客観視できた瞬間からどんどん小さくなっていきます。

主観で捉えていたものが、自分の手から離れたとき、苦しみから解放されるのです。

それには時間・継続・試行錯誤…など様々なことを経てようやく気付きます。

大切なものを失ったとしても、同じ経験をした人がいると知った瞬間、少しは心の傷が癒えるでしょう。

自分だけが・・・と思えば思うほど、視界はせまくなります。

僕はこの1年、そんなころを頭ではなく、心で実感したような気がするのです。

2012年10月19日金曜日

ASKAにはいつも勇気をもらう。



このタイトルを見たら、もう予約ボタンをポチっと押していた。

僕がはじめてCHAGE&ASKAの曲を聴いたのは小学校4年生。

ちょうど転校して、新しい街をいろいろ散策していたときに入ったCDショップで買った。

まだCDを買うにはけっこうお小遣いをためないといけない歳頃だっらから、買ったときの嬉しさはたまらなかったなー。

あれから20年。

いまでも生活の一部にASKAの曲は溶け込んでいます。

何度も何度も聴いた曲だけれど飽きない。

これからもずっと聴いているんだろうな。

どこまでも伸びる高音。

カラオケでへたくそなりに歌いこなすのが楽しかった。(今でもカラオケで歌うけど)

7年ぶりのオリジナルも発表されて、なんだか今週はわくわくすることが多いです。

2012年9月10日月曜日

会食恐怖に関しての記事。

この記事に関して、大変興味を持たれている方が多いようです。

その辛さ、苦しみは経験した者しか解りません。

ただ、この記事は私個人が経験した経緯について書きとめたものであり、医学的根拠等に基づいている訳ではありません。

「こうすれば治る」といった考えを一方的に勧めているわけではないので、あくまで、治った奴もいるんだな、という程度でお読みください。

2012年7月14日土曜日

やっぱり「諦めない」ということ。

今日、某出版社から内定をもらった。

以前ブログに書いたNPO立ち上げの件は実際、実務に携わるわけではなく、スタートを切るまでの補佐的立場で、かと言ってその後まったく関わりをもたないわけでもない。続く限り役に立てればいいなとおもっている。

実務に関わらなかったのは、自分が給料をもらうなら、ほかの若い人に専任として頑張って欲しいという思いからだった。

08年に個人でNPOを始めて以来、非営利でおカネを稼ぐことがいかに大変なのかを思い知らされた。ある程度の規模でやるとなったとき、自分はそこで金をもらうのは気が引けた。むしろ、外側から繋がっていたほうが、気持ちが楽だった。

それにNPOそのものに限界といったら大げさだけど、自分ができる範疇が見えてしまったのも一因で、少し距離を置きたいと思っていた。やはり、行政の常識、企業の常識、NPOの常識はそれぞれあるわけで、NPO以外のところではいま、どういう考え方の元、仕事を進めているのか肌で感じたかった。

24~28歳のときは絶対に雇われる人生は嫌だと考えていた。
それは外的な要因で自分の思い通りにいかないことが多すぎて、「こんなのやってられっか!」という、まだおしりの青い若者のよくあるパターンだったのかもしれない。

しかし、自分でやろうと思えば思うほど、外側の情報が少なくなってくると怖くなってきた。独善的ではないか?もう、こんなやり方は古いんじゃないか?周りの人は頑張ってくださいとかいってくれるけど、どこまで親身になってくれているかなんてわからない。


「このまま今度の会社で・・・」とも思ったが、やはり、ライフワークの中からNPOは外せなかった。だから個人事業主は継続するし(労働契約で問題なかった)、10月からの活動にも積極的に参加する。ただ、農業のI・Uターン事業に関してはしばらく時間がとれない。結構、タイミング的に今だったら行けるかなと真剣に考えていたが、あまり手を広げ過ぎるとまたoverworkになってしまうので、定期的なシンポなどに顔を出せればいいかなという具合である。

今回、ひとつ感じたのはあまり長いスパンで自分を追い込まない事が大事なのではないかということ。仮に1週間で仕事を辞めちゃったとしても、悔いがないならそれでいい。ただ、中途半端だけは絶対によくない。だから自分で1個目標を立てたらそれを達成できるようがんばり、それができたらまた次の目標をたてる。それがあまり自分の首を締めすぎないように適度なゆとりをもってこなしていくことが長くやっていけるコツなのではないかな、と思っている。

2012年6月14日木曜日

精神障害者雇用義務化へ

敢えて言う。

障害者雇用が一般雇用と比べ差があるかといえば、ない。

それは何人もの当事者から「障害に関してのサポートはあっても自分の仕事の内容はなんらほかの社員とかわらない」と、聞いているからからだ。

一流企業に勤めていたひとは残業も休日出勤もあるといっていた。もちろんのその分の手当てはつく。

いい意味で、「だれも助けてくれない」

これは当事者からすれば、チャレンジである。

チャンスはいまでもごろごろ転がっている。しかし、社会の環境がそうではなかった。これからは何も気にせず、堂々と企業の門を叩けばいい。


一方で、自立支援をおこなうNPOや団体はツイッターで書いたように、これまでのようなぼんやりとしたゴールを設定していては利用者は来なくなる。

利用者が本気なら、サポートする側もプロ意識を持つべきだ。

2012年5月18日金曜日

加藤さんと菊間さん

昨日のNHKの「ポートレートM」という番組でおふたりだ対談していた。

本当に芯の強い女性なんだなと思った。

菊間さんは朝日新聞や、書籍でこれまでの経緯を読んだが、本人の口から発せられる言葉には重みがあった。

尊敬します。お二人とも。

2012年5月7日月曜日

決められない民主主義~NHK特番~

先週の金曜日の深夜、Eテレでやっていた討論番組をNHKでやっていた。

観るつもりは全くなかったが、論者を1970年生まれ以降に絞っているという点で、どういう番組になるのか興味をもった。

NHK大好きの私だが、この番組はつまらなかった。

いろいろ文句を言いたいが、番組内のパネリストが「ポジ出し」をしていきましょう!(ダメだしの対義語らしい)と、言っていたので最小限に留めておく。


まず、民主主義をテーマにする事自体、テーマがぼやけすぎ、でかすぎ。

決められない民主主義~民主党政権~みたいなものだったらまだわかる。

司会者が「朝まではできないんで(笑)」と、某番組を意識した発言をしていたが、冒頭から何を論ずるのか良くわからなかった。

一番のミソはあの番組を政治・哲学・社会学等の知識を持たない(私もふつーの一般視聴者としてみました)人が理解できるのか?ということだ。

各論者は私からすれば意味不明な難解用語を次々と繰り出し、自分の主張を高尚なものに練り上げていく。討論というより、授業を聞いている感覚だった。当然一方的な授業はつまらないわけで…。

また、その用語を解説したVTRが作られていること自体、いかに一般人とかけ離れたやり取りをしているのかがよく分かる。視聴者が理解できない討論番組をやって何の意味があるのか。

そりゃ、おまえが無知なだけだろ?という批判は今回ばかりは勘弁してほしい。

なぜなら、この話を他の人に用語も含めて話したところ、???の連続だったからだ。

だいぶ噛み砕いてこの反応なのだから、番組そのものはチンプンカンプンだろう。たぶん。


さらに身も蓋もない事をいうなら、決められない民主主義ではなく、いまの日本は決めたくないとう意思決定が立派に働いているということだ。

選挙に若い世代が投票しないのも、政治に無関心など様々な理由はあるにせよ、根底には現状維持で充分という認識があるからこそだれも動かない。

また、これまでは保守派と主張する自民党が高度経済成長と共に、うまく地方も含め日本経済を回してきた。グレーな部分もあったかもしれない。

しかし、改革を訴える民主党を含めリベラル派は旧体制を壊すところまでは一致団結するが、そのあとは空中分解する。細川政権の時も同じ。そして今も同じ。

かつては民主の中枢の政治家が保守勢力だったような気もするが、結局、いろいろなところでわがままな主張がまかり通るようになり、新党ばかりが増えていく。

政権交代は社会実験ではない。

やってみたけど、だめだったは通用せんのです。こんな政治に無理やり意志決定を押しつけたところで、機能するはずがない。それを国民は知っている。

だったら、現状のほうがまだマシだと考える人がいてもおかしくはない。

じゃあ、今の日本はこのままでいいのかといえば、それも違う。

ヨーロッパのように政治や文化が成熟していくのならばまだしも、実が成るまえにもぎ取られてしまうか、根っこごと差し替えみたいなことばかりやっているからまったく成長しない。

大阪の橋下さんも東京の石原さんも、意志決定の仕組みを変えていくのはいいが、それ以前に国会議員がみんな両氏のように気概と志をもって国政に臨んでいたら、そんなに変える必要ないんじゃないですかね。

小泉さんは立派にやっていたじゃない。

ということはやっぱり最後は「人」だよね、って結論になってしまう。

被災地復興はもちろんだけど、拉致問題とかどうなっちゃたわけ?

日本国民の尊厳が侵されている今にあって、そこにまったく政治が向き合わないのはいかがなもんか。

あ、だいぶ長文になっている・・・。ここいらでやめておきます。

2012年4月11日水曜日

私的視的詩的④

自分にあったものがないのなら、自分でつくるしかない。

2012年4月10日火曜日

オレンジデイズ。

またハマっている…。

息抜きに1日1時間だけ観るようにしているのだが。

今日は第4話。

何べん見ても泣けるんだよなー。

「僕が、音のない暗闇から君を救う」

ここで、必ず泣く。

ストーリー知らない人、すいません。

妻夫木君はほんと純粋な役が似合うなー。

2012年3月31日土曜日

私的視的詩的③

自分が抱える不安と社会が抱える不安は他人のせいにはできない。

不安を打ち消すには違うものに視点を変え、不安を曖昧な存在にしてしまうしかない。

不安がない人間は絶対にいない。

なぜなら不安がないことが不安だから。

2012年3月23日金曜日

私的視的詩的②

このご時世、「がんばらない」ぐらいが丁度いいという人がいるけど、頑張れるやつは頑張ったほうがいいに決まってる。

頑張れないひとは、「頑張りたい」という気持ちを持つだけで、前に進んでいると思う。

2012年3月22日木曜日

私的視的詩的

人にどう見られているか悩むよりも、人にどう見られたいのかが大事だと思う。

2012年3月15日木曜日

カレーの流儀

今日は休みなので、残り物でカツカレーを作った。

冷凍保存はしない

と、いうことは作り置き、または残ったカレーは最低2日ぐらいしか持たないことになる。だから、カレーの日は次の日、次の次の日ぐらいは連ちゃんで食べることが当たり前。

さらにルーをおいしくする

一日おくとルーは水分を失い、ぼてっとなる。ここでルーを緩くするために水などで割ってはダメだ。僕は麺つゆのもと、味の素、少量のミルクでルーの固さを調節する。

残り御飯も最高の状態にする

お冷の御飯はいくらもラップで包んでいても、そのままレンジでチンしても「ふっくら」した御飯にはもどらない。そこで、レンジに入れる前に霧吹きなどで万弁に水分を吹きかける。そして、レンジの中が水蒸気で曇って見えなくなってしまうぐらい温める。一度だして、水蒸気をとばしたあと、もう一度御飯を適温まで温めれば、炊きたて御飯に「復活」する。

御飯:ルーは6:4

カレーを御飯に全部かけてしまうのは流儀に反する。スプーンで掬ったとき、スプーンに6:4ぐらいで口に運べるのがベスト。御飯の甘みと、カレーのコクを同時に味わいながら食べるのが至福の食べ方。

らっきょ・福神漬けはノーサンキュー

何も足さない、何も引かない。これが真のカレー精神だ。

トッピングで気を抜くな

せっかくできたおいしいカレーも、カツなどトッピングがペケだと一気にトーンダウンしてしまう。
今日の場合、クッキングシートに包み、しっかり油を染み取らせ、サクッとしたカツを目指す。

トースターでアルミホイルに包んで温めるのもよい。

満腹になっても気を抜くな

必ず、眠くなる。ここで寝てしまっては夕飯はおろか、脂肪の蓄積を促しているだけだ。食ったあとは昼寝厳禁!買い物でもいくべし!

2012年3月8日木曜日

権利を主張するということ。

労働紛争といったら大袈裟だけれど、報酬の未払いを申請していて、それが認められた。

最初、相手は「払わなくても済む」という態度があからさまだった。

こっちは絶対取れると思ったから、主張するべきところはしっかり伝え返答を待った。

次第に相手が曖昧なことを言い始め、「逃げ」の姿勢が見てとれるようになり、これはやばいと思って監督機関に間に入ってもらった。

僕は社会人になってから、ずっと社会の「働き方」に疑問をもっている。

サービス残業、休日出勤、長時間労働・・・

日本人の美徳と言っていいのかわからないが、「働く」「忙しい」「寝ていない」といった言葉を耳にすると、すごい・偉い・充実していると思う人がいる。

なんでも行き過ぎると問題であって、そこを多くの人は我慢して毎日の日々を送っている。

「そんな綺麗事ばっかり言って、あまいんだよ」

と、多くの人は言うかもしれない。

でも、ちゃんと労働に関する法律があって、雇い主、労働者にはそれぞれ権利があるわけだから、そのルールを無視したら、ルールの意味がない。

ルールのない環境で仕事をしたら、そりゃ収拾がつかなくなる。

企業で9時5時にきっちり仕事が終わるなんてことはないかもしれないけど、0時過ぎまで残業なんていうのはあってはいけないこと。外国はバイトみたいにほんとに時計の針が5時ぴったりになったら帰ってしまう。「契約なんだから」といって。融通が利かないといえばきかないが、それぐらい自分の権利を主張する気持ちをもつことが、自分を守る事にも繋がる。

どうしても守るものがあると立場上弱くなる。無理難題を言われても、生活の為、家族の為と歯を食いしばって頑張る。でも、それが自分の業務範囲の範疇を超えていたら、やっぱり労働環境になんらかの問題があると思ったほうがいい。

権利を主張することは悪い事でもないし、非難されるものでもない。

とても勇気がいることだけれども、それが主張できる環境こそが正しい職場環境の姿だと思う。

2012年2月21日火曜日

富の分配ではなく、富の移行へ。

今日のお昼。お腹いっぱい。






で、こないだアップルの株価が過去最高値を更新した。
今やアメリカの将来を背負う大企業に成長したわけだが、これまでのGMやGEとは勝手が違うようだ。

Appleのアメリカ国内での雇用人数は約4万人と言われている。もっともこのご時世、世界各地にマーケットを展開しているので、すべて合わせれば70万人ぐらいだろうか。

ここで問題なのはAppleがこれだけ増収増益を続けても役員と従業員の報酬の額が余りにも開きすぎていることだ。もっというなら、昔のGM、GEはアメリカ国内で約40万人を雇用していた。

資本主義の原理として最も理想的なのは中間層の国民が多ければ多いほど、理想的な社会構造なわけで、現在の歪な社会格差は健全な資本主義の形とは言い難い。

それはアメリカだけに限らず、ヨーロッパや日本、中国でさえも同じような構造が出来上がってしまっている。

欧州の金融不安は元を正せば、中間層の間で金が廻らなくなったのが原因といっても良い。一部の富裕層は我関せずで、海外に移住したり、相変わらずのマネーゲームに興じ、社会保障の崩壊なんぞどこ吹く風で胡坐をかいている。

日本もバブル崩壊後、結局「失われた10年」があっというまに「20年目」に突入してしまった。
たんす貯金が1000兆円あるにも関わらず、国民が財布のひもを緩めないのは結局は団塊の世代より上の世代ががっちり確保しているから、いくら若い世代が消費しようが雀の涙なのである。

企業も行政も役付けの人々は桁がひとつ違う。

そんなにしこたま貯め込んでないで、もっと使ってください。
お子さんの将来も心配でしょうが、日本の将来も危ないんです。

企業収益の分配も明らかに額が違いすぎるが、経済規模が縮小しているなか、若い世代にもっとお金が廻るようにしなければ、それこそ「高額休眠口座」が大量発生してしまう。

2012年2月14日火曜日

路上のオルゴール弾き(訂正版)

「20min」というドキュメンタリーをNHKで放送している。

一昨日、たまたまチャンネルを合わせたら、番組が始まるところだった。
始めは観ないでそのまま寝ようとおもったが、冒頭のナレーションに惹きこまれた。

「彼は28年間、ずっと手回しオルゴールを路上で演奏し続けている」

30歳で音楽教師を辞めた彼は生き方に悩み、そのとき自分と一緒に泣いてくれているように感じたのがオルゴールの音色だったのだという。

音楽を純粋に愛するが故に、生徒に通信簿の成績をつけることが辛かった。
次第に心のバランスが乱れ、不安や体調不良が続くようになった。

その結果、教師という仕事に別れを告げ、以来ひたすら自分の心の拠り所であるオルゴールの音色を奏でる毎日。生活環境はお世辞にもいいとは言えない。それでも彼は

「1万円あったら何に使いますか?」

という質問に、

「おいしいものを食べるわけでもなく、たぶんオルゴールの楽譜を買うと思います」
と、いった。

彼にとって唯一、自分が自分でいられるのがオルゴールを弾いているときなのだろう。

「好き」を続けることこそ、最大の喜びであり、最大の苦しみでもある。

生活保護を申請すれば、オルゴールも手放さなくてはいけない。
そんなギリギリの環境の中で、彼は今日も道に立つ。

自分には真似ができない。
どうしたら、そんなにひとつのことに心血を注ぎこめるのか?
暖を取るよりも、食事を取るよりも、身体を労わることよりもオルガンを優先する。

寒い石巻の路上で目をまんまるにして、彼の演奏に聴き入っている少女の姿が印象的だった。

※オルゴールと書くべきところをオルガンと書いていました。申し訳ありません。

2012年1月15日日曜日

心は体で支えることができるか。

こころ(気持ち)が萎えると、モチベーションが下がったり、体調を崩したりする。
「健康」というのは心身ともに充実していることであり、からだが疲労困憊ならばそれもまたバランスを崩す。

しかし、敢えて今年「肉体をある程度鍛えれば、こころも強くなるのではないか?」という自分なりの考えで生活している。

イチローは昨年のシーズンを「心は折れたが、体がそれをカバーした」と言っていた。

本当にそんなことができるなら、今の自分のこころをもっと強くするためには間接的に心を鍛えるのがBESTではないかと思った。

ストレスのかかる環境に身を置くことで耐性ができ、それによって強くなることもあるだろう。

しかし、過去の経験からなるべくそういった環境からは遠ざかったほうがいいと分かっている。

今はまだ余裕がある状態なので実感はないが、しんどくなってきたとき、どれだけカバーできるのか興味深い。

2012年1月1日日曜日

明けましておめでとうございます☆

本年もよろしくお願い申し上げます。

朝から、なんとか動き回っております。

ツイッターで動画のグリーティングにて新年のご挨拶をさせて頂きましたので、そちらもご覧頂けると嬉しいです。

よい1年でありますように。


ISAO