2014年12月20日土曜日

台湾へいく。

来年、2月台湾に行く事になりました。

今年は精力的に国内を旅していたので、久々の海外です。

パスポートもとっくに切れているので、申請しなければ。

今月はこれが一本目というUPの遅さ。

寒さと年末の締め切りに追われ、やっとこさ落ちついたところです。

実は高校生のときから使っていた部屋のチェアーを買い換えました。

こじんまりしていて動きやすかったのですが、今度のは背もたれが頭部まであるため、部屋に入るとでかい壁となって視界をさえぎります。この椅子は何年使うのかな~

来年は残り3会場となったJRA競馬場の完全制覇に少しでも近づきたい。

中京、札幌はいきたいです。

ぜんぜん、目標とかじゃないのかな?これは(笑)

ここ数年はあえて目標はニュートラルな感じで設定しているので、そのまま継続ということで。

年内もう一回書きたいなと思います。

そんじゃ!

2014年9月19日金曜日

栄枯盛衰、祇園精舎の金の声。

大英帝国として世界をリードしてきた盟主が国力衰退の危機。

盛田イズムはどこへいったのかSONY。もはや「技術」でも勝てぬ迷走っぷり。

リベラルの旗手は謝罪行脚の真っ只中。天下の朝日に落日は訪れるのか。


昔の人は人間の業というものを後世に伝えようといろいろなかたちで残した。

しかし、やっぱり人間だもの。甘い蜜には誘われてしまう。

誰が決めたかしらないが、1世紀を100年とした時代の区分けは実に興味深い。

世の中、100年経ったら必ず何か起こる。

今から100年前は1914年、第一次世界大戦が起こった年だ。まさか、このあともう一度世界大戦が勃発するなど、誰がこのとき予想したただろうか。

戦後70年を来年に控え、「100年平和」を日本は維持できるのか。

経済もおなじで、自分が生きてきたこれまででさえ、いくつもの大企業が衰退していった。

今、目先の価値で物事を判断し、未来を誰かにゆだねるのは人生の怠慢だと思う。

危機感と自己責任というふたつの制御力で人・もの・お金の流れを見極めなければならない。


江戸時代だったら、スコットランドが独立しようが他人事だった。

しかし、今は為替、株価、そして企業の業績さえも左右する時代だ。

何がグローバルでなにが普遍なのか。

どんどん見極めるのが難しい、やっかいな世の中だ。

2014年8月3日日曜日

会食のつどい。あっついけど。

こんにちは。

夏休み。ということで、やろう!と思います。

でも、この猛暑のなか無理は禁物なので夕方からがいいのではないかと。

以前、18:00ぐらいから2時間いろいろはなしをして解散ということもありました。
帰省しないで東京にいるよ!ってかた。

8/8~8/16のあいだで開催できたらなー思います。

ツイッターで前回募りましたが、今回はここのコメント欄に意思表示だけでもいいので書き込みしてぐださい。

そのほうが分かりやすいとおもうので。

書き込みゼロの場合は中止です。

でわでわ。

2014年7月27日日曜日

福島のたび フォトギャラリー

39度、まさかこんなにあちーとは・・・。

とりあえず、写真をごらんぐださい。















2014年5月31日土曜日

ダービー2014

今年はやけに全国紙に全面広告出したり、AERAとコラボしてみたり、我々を煽っているわけだが、勝ち馬はどれかという予想になると、結構難解なダービーになった。

去年は、このブログで武豊、ダービー5勝を懇願して見事ユタカは期待に応えてくれた。

今年も獲れない位置でもない気がするが、未知数の部分があり判断しづらい。

筆頭はイスラボニータを挙げたいが、個人的に2000Mがベストだと思う。秋天なんかが一番ハマるような脚だ。

トゥザワールドも前走-8kgで2着は評価できるが、若駒Sのような3F33.6秒の脚を持っていながら、自らの型を崩した感は否めない。

個人的にはレッドリヴェールが牡馬相手にどこまで通用するのか注目したい。
ハープスターよりは若干能力は劣るものの、ハープスターもオークスで苦杯を舐めた。
展開次第では、末脚が斬れる場面が見られるかもしれない。福永も去年、あと一歩のところでキズナに交わされただけに、2㎏のハンデを活かした好騎乗を期待したい。

馬券は皐月賞組みが必ず絡んでくると踏んでいるので、軸は皐月賞1~3着から絞る。

あとは買い方をどうするか。

馬連はとりあえず遠慮しておく(笑)

2014年5月20日火曜日

「飛鳥涼」に想いを馳せる

今回のASKA逮捕の衝撃は、心底ファンであればあるほどショックは大きい。

私もそのひとりであり、小学校の頃から応援した時間がすっぽり空白になってしまったようだ。

まったくASKAに同情するつもりもないし、ファンだから今回の事件を「しょうがない」と片付ける気もない。
むしろ、虚しさ、悲しみ、その先に行きつくのは「怒り」だ。

その類稀なる才能に惚れ込み、何度も何度もASKAの曲を聴いた。コンサートにも行った。

自分が落ち込んでいるとき、苦しいとき、孤独なとき、心を奮い立たせてくれるのがASKAという存在だった。

今となっては聴けば聴くほど、曲が胸を締め付ける。

その苦悩は測り知ることはできないが、これから先、誰から勇気をもらえばいいのだ…。

連日の報道に耳を塞ぎたくなる。でも、どこかで嘘であってほしいという願望が自分のなかにある。そんな可能性は0に近いのに…。


いまはCDをケースから取り出すことはできない。

2014年4月24日木曜日

自己中心的。だからなんだ!

自己中心的。

これをあんまりいい意味で使う人はいないよね。

私も、言われたらあんまりいい気分はしない。

でも、歳を取ると内心、自己中万歳、自己中最高!と思っている。

協調性は大事だが、今の社会はそんなことやってたら心が擦れる。磨耗する。

みんな一定の距離から内側は他人を入れようとしない。

そのくせ、傷つく言葉を平気で吐く。

ぶん殴ってやりたいような奴、何人も見てきた。

おまえはそんなこと言われて心が折れないのかよ?って。

頑張りすぎたら、「はい、お疲れさん」って言われてそれでおしまい。

誰も守ってくれない。

だから、おおいに自分の主張を通し、大いに胸を張って道のど真ん中を歩く。

それぐらいしなきゃ、もったいない。

そんなことできたら苦労しないよ。

まわりはそう言う。

じゃあ、苦労しっぱなしでいいのか?

どっかで、変わらなきゃ苦しくなるのを分かっていても?

でも、立場の弱い人や自分がなんらかの部分で強く言える側の人間だからといって、自己中やってんのは恥ずかしさの極み。自分の居ないところで笑われてるよ。

「きれいごとばかり言ってんじゃない」と人はいうけど、そもそもそんなことを言われる筋合いは1%もない。そう思って大丈夫。

この時期、なんだか疲れがどっとでちゃうんだよね。新しく環境が変わった人は。

ぜんぜん問題なあーーーーーーーいっ!!!

僕はずっと疲れっぱなしです(笑)

2014年4月6日日曜日

体の隅々まで空気を溜め込む。そして吐き出す。

年度初め。先週はまったく、さっぱり、やけっぱちだった。

スタッフがインフルエンザでダウン。

その影響が関係あるのか、だるい、足の爪真っ青、睡眠不足でフラストレーションMMMAX!!!

低空飛行どころか一旦着地して、横になってしまったよ。

この手の記事を書いているときは、かたちに残るブログに自分を奮起させる内容を書いて、なんとか羽をぱたぱた動かせるように頑張っているときです。

おおきく深呼吸して、おおきく息を吐いて~。

おし!もう大丈夫だ!

2014年4月5日土曜日

4/13 in 代々木公園

これまでここでやっていたので、結局代々木にしました。

会食に関して興味のある方は是非。

なお、参加者のなかで女性が1名だけの場合は行いません。

未成年者の参加もご遠慮ください。

14:00~を予定しています。
雨天中止。

できればツイッター、もしくはGoogle+からお問い合わせをお願いします。

@souzou2008(Twitter)

2014年4月3日木曜日

作家と読者


書物、出版物というものは形あるものを言うのか、そのコンテンツを指すのか。
 

私はここ数年、電車でサラリーマンが週刊誌を読む姿、学生が漫画を読む光景をほとんどみない。
 
しかし、彼らは「読書」はしている。勿論、全ての乗客が読書をしているわけではないが、デジタルコンテンツを読み、それを情報源の主としている。

この事実は日常生活に殺伐とした無機質な感覚を植えつける。傍からみれば、何を読んでいるのかはわからない。完全な「個の空間」をこの十年で我々は手に入れられる環境になった。

活字だけでなく、音楽、映像といったコンテンツそのものだけを抜き取って楽しむという慣習が当たり前になってしまうと、これまでのようにいくつもの行程を経て世に送り出されたものに比べ、「深み」がなくなる。ワインをじっくり熟成させるように、できあがった作品に様々な装飾、または肉付けをしていくなかでクオリティー、完成度は増していった。それをなくして、いきなりメインディッシュだけというのは味気なく、非常に希薄なものに映る。

創り手側は常にニーズを先読みし、先手を打とうと必死なわけだが、その競争に終わりはない。その結果、作品の主導権は作家ではなく、読者に移ってしまった。ここに作家のジレンマが生まれた。時間をかけて創作することが制限される。よほどの大作家なら話は別だが、世の中に供給される作品数が飽和状態の為、常にスピードが要求される。かつてはそこを少なからず出版社がコントロールしていたが、ネット媒体によってその調整弁もなくなった。

数多の新人賞から作家が誕生し、消えてはまた生まれる。文学界の新陳代謝は一見正常に機能しているように見える。しかし、その機能はもはや形骸化していると言ってよい。分かりやすい例を挙げるならば、芥川賞・直木賞であろう。これらの賞を受賞したからと言って、作家としての将来が約束されたわけではないが、後の作品がコンスタントに発表できていても、読者と「線」では繋がっていない。あくまで、受賞時の瞬間最大風速のような圧倒的情報量のなかで手に取ったに過ぎず、それが一過性ではなく、継続性を持って読者との繋がりを維持している作家は近年、稀と言ってよいだろう。

これを業界は衰退、不況だといい作家の鍛錬を怠った。作品を発信する場を勝ち取ったはずなのに、満足にそれができない。勿論そこには完全実力主義という原則はあったとしても、出版社(編集者)は作家の可能性を最大限引き出す義務がある。これが媒体の多様化によって、作家を養う眼が分散してしまう事態を生んだ。作家はセルフプロデュース能力が高くなければ生き残れなくなり、編集者としての視点を持てる者が新しい時代の作家像を形成していった。


2014年3月27日木曜日

会食オフのはなし。

そんなに肩に力をいれないで、ぶらぶらと僕が東京に行くときに来てもらえたらと思います。

たぶん、代々木公園とか、芝公園とか。

誰も来なくても、僕は僕なりに東京を満喫して帰りますので、ご心配なく。

4月の2週か3週の休みの日ですかね。


今週、髪を切りに行きました。

珍しく、ハイポジション刈上げでK-POPみたいな感じです。

週末は千葉県の親戚のうちにお昼ご飯をご馳走になりにお邪魔します。

また、子供たちにキック・パンチされたらいやだな(笑)

2014年3月16日日曜日

2年連続京都のたび。

2泊3日で行ってきました。

今年は湯豆腐屋に行ったり、舞殿で舞妓さんの踊りを観たり、ちょっといつもと違う旅でした。






 
 
 

2014年3月8日土曜日

僕たちが住む日本。

3月11日が近づくと、テレビや新聞は特番で被災地の現状を知らせてくれます。

でも、この3年間で被災地で何が起こっているのか、もっと細かい情報が伝わってくるようになりました。

これは自ら情報を知ろうとしなければ分からないもの。

一方的に漏れ伝わってくる、受動的なもの。

大切なのは能動的情報にみんなで考えなければならない課題が山積みだということです。

僕の住んでいる近隣の方で毎月、福島にボランティアに行っている方がいます。

その方から聞く話はテレビや新聞では知ることはできません。

それは住民の方達の心や生活、コミュニティーに関する「見えない課題」です。

除染、防災、エネルギー、産業・・・見える課題だけでも手一杯なのに、被災地は多くのものを抱え込みすぎてしまっています。

離れた場所で話し合っても出ない結論があります。

時間が経てば経つほど、この震災の痛みが僕にはたくさん伝わってきています。

2014年3月3日月曜日

会食恐怖だけじゃなくて、何かしんどい生活をしている人達が集まる会(仮)。

あと1ヶ月ちょっとで、この寒さから解放されます。

以前、このブログでも企画提案しましたが、桜が咲くころ、公園のような開放的な場所でシートを持ち寄って集まる機会を設けたいなと思い、お知らせする次第です。

今もMixiなどでオフ会をやっているのかどうかは知りませんが、なるべく制限がない状態で気軽に参加できる形が良いとおもってます。

最近は、たとえば4/1にやります!って言ってその日体調が悪いとタイミングを逃してしまう。

だから4/1~4/3の三日間開催みたいなほうがいいんじゃないかなって思います。

3日間とも私が出席できるかどうかはべつとして、何日、何時、何処何処っていうのがプレッシャーになっちゃうので、その日の自分と相談のうえ参加是是非とうことで。

あくまで、(仮)ですので、もし、やるんだったら参加してみたいなという方がいたら、このブログにコメントを残すなり、メールでも結構です。

それなりにやれそうな環境になりましたら、最低3名ぐらいでやろうかなと思います。

以上、告知でした。

2014年2月17日月曜日

モチベーションと幸福感。



寒い。

やる気ナシオ。

それじゃまずいと、なんとか気分を上げようとする。

でも、これはガソリンのない車にエンジンをかけようとしているのと同じ。

かからないものはかからんのです。

以前読んだ本の中に、「しなければ」というカテゴリーに入るもの、たとえば仕事・めんどくさいことなどなどに対して、さらに自分から鼓舞しようとすると、そのメンタリティーは反比例するとありました。

だから、そんな日の前日は極力、「まあ、家を出れたらOK」ぐらいのつもりでちょうどいいというのです。

それとは別に、ガソリンがないのにエンジンがかかる場合があります。

それは思わぬ良い知らせ、良いできごとです。

ハイブリッドならぬ、もうひとつのエネルギーの源が沸々と湧き出てくるのです。

僕は最近、その幸福をいろんな人たちと出会うことで感じています。

こないだの旅行でも地下の一見怪しいBarに足を踏み入れました。

でも、予想に反してすごく面白かった。

一見さんなのに、常連のお客さんたちは暖かく輪に入れてくれました。

そういうところで知り合った人達とは込み入った話はしないけれど、また訪れたら行く場所ができる。

「何年前にきました~」って感じで。

それを生活圏のなかでも増やして行きたい。

そうすると、おもわぬHappyも増える。

今年はこのスタンスでずっとやってます。

2014年1月12日日曜日

会食恐怖の話を聞くたびに。

この話を当時者の人と話すたびに、いろいろな考え方を持っているんだけど、一番の問題は行動が制限されていくということ。

これは僕自身もほんとにどんどん範囲が狭くなって、結局飯を食わずに1日仕事、みたいな状況になっちゃった。

この難題は食べることから、対人、その他食べられないことで起こる二次的現象に対する不安にすり替わっていく。(少なくとも僕はそう考える)

仮に午後から仕事だったら、その心配はかなり減るだろう。

「昼休憩」が頭を悩ますのだ。

少なくとも、なるべく日常生活の習慣を維持するためには、食事以外のことでの不安材料を消していきたい。

最近、「食事を取る」という中核の部分から攻めるのではなく、外側の事象を解決していくことも、ひとつの方法であることを認識した。

何かのきっかけになってくれれば幸いです。



2014年1月1日水曜日

謹賀新年2014

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い申し上げます。

皆様にとって良い1年でありますように。


私はいくつかの目標を掲げて、この1年頑張っていきたいと思っています。

何事も最後まであきらめない。

この精神でちょっとでもいいから成長したいです。


このブログを読んでいる方々、今年も気軽に訪問してください(笑)


よろしくお願いします。


ISAO