昨日の新聞でイギリスのウィリアム王子が、
「母の死に未だに苦しめられている。どのように向き合っていくか、対処法を考えるしかない」
と語っていました。
僕は歳が近いということもあり、少年期に家族や親族の死に直面した王子の気持ちを思うと、胸が締め付けられる想いでした。
僕も小学生のとき、身近な人の死というものに直面しました。
子どもながらに「死生観」というものは持っているもので、悲しみとは別の、人間としての避けられない宿命みたいなものを感覚的に体に刷り込まれたような気がします。
苦しみは他人からだけでなく、自分自身で抱えることもあります。
それは世間の人々が考えているよりもはるかに多い人達が、その苦しみと向き合っています。
若ければ、なかなかそれを口に出すことも難しいのかもしれません。
僕は20代に経験し、今に至っています。
ウィリアム王子の言葉に救われたのは、「解決する」「回避」するといった言葉ではなく、人生において何かを自分のなかに抱え込みながら、生きていかなければならないこともあるのだと、教えてくれたことです。
苦しみから解放されたいと思うのは誰しも願うことです。
しかし、解放されないものも存在するのだと、そう考える人が世の中にいるのだと知ったとき、勇気を分けてもらえた気がしました。