2018年12月1日土曜日

メールと「平成」私的回顧

平成の時代を振り返る企画や記事が多いなか、私的生活に大きな影響を与えたものは何だったのかと問えば、「メール」しかない。

いや、仕事の質も変え、社会の生活そのものを変えた。

そもそも、私にとって「メール」は20歳前後に身近なものになった。子どもの頃は家の電話しか郵便などを除いては連絡手段がなく、友達の家に電話するのに緊張したものだ。

自分の素性が相手の家に知られていなければ取り合ってもらえず、今の時代ではピンとこない人も多いだろう。ポケベル→PHS→ケータイ→スマホと通信デバイスが目まぐるしく変わり、これが子どもの時期に起こっていたとしたら人生が変わっていたのかもしれないとさえ思う。

メールは時間的拘束をなくし、24時間いつでも連絡可能になった。しかし、生活面でも仕事面でも老若男女問わずメールに拘束されることになる。

仕事だけに着目すれば、現在のメール処理にかかる割合がどれほどなのか考えてみると、かなり割いているはずだ。この「メール対応」という処理はかなり億劫なもので、的確かつ短文でなければ仕事にならない。会話では「あれ」「それ」が通じても、メールでは「空気」は伝わらない。


今やメールではなくスマホのアプリで通信をしている人が多い。しかし、私は通信アプリをまったく入れていない。タイムラインで延々と続くやり取りが面倒くさいのだ。だから、あまり知り合いから連絡が来ない(笑)。でも、おかげで用があれば渋々電話をかけてくる。結局はそんな程度で十分コミュニケーションは保たれると思っている。

文字を打つことさえ完全に必要なくなるのも、近いだろう。技術の進歩に食らいつくか、どこかで自分の生活で折り合いをつけるか、平成の時代は少し忙しなく駆け抜けていこうとしている。