2015年8月28日金曜日

報酬があるから仕事をやるんじゃなくて、仕事をやったら報酬がついてくる。

ここんところ、自分で言うのも恥ずかしいんですが、結構集中して本を読んでます。

それは仕事と報酬のバランスがなんかおかしいと思い始めたからです。

簡単にいえば、100の仕事を時給では1000円でやって、委託かなんかでやってもらったら600円みたいな。

まあ、眠い目をこすって出社して「会社に行く」ことに意味があるってところは理解します。

でも、外人はそれを通り越して、報酬がなくても「自分の仕事」は金がでようがでまいがやっているような節がある。

なぜ?って聞くと「これは僕の仕事だからさ」

訳わかんないです。生活できないじゃないかと。

でも、いいときも悪い時もやり続ける。

仕事への価値観が全然違う。

感覚は芸能人の方達に近いのかな?

好きだからやる。成功したお金はあとからついてくる。

これに意外とぼくはショックを受けて、ちゃんと「いい仕事」を観る目が養われているんだろうかと再確認しているんです。

全然わからなかったことが、急に距離が短くなる瞬間があることも体験しました。本を読んでいたからなのか、理由はよくわからないんですけど。

ただ、確実に無駄なものが削ぎ落とされた感覚をもっています。

少し重力が軽くなった感じ。

まとまりが悪いですが、こう、ライオンキングみたいに「うお~!!!」って叫びたいんです。いま。

2015年8月3日月曜日

社会企業家はNPOより寺を運営したほうがいい。

ちょっと前、NPO法人の代表と話をする機会があった。

資金繰りが難しいといって、話はあっちこち飛んだが、いくら崇高な理念のもと事業を始めても、個人的に企業的感覚でやっている人とボランティアの延長線上で活動している人では全然違う団体だと認識している。

僕は理念上のNPOというのは日本に合っていないと思っている。毎回これを言って怒られる。欧米のNPOは基本、寄付が圧倒的に多い。しかし、日本では少ない。それは文化の違いであって、いくらクラウドファンティングをやっても集まらないものは集まらない。最近のNPOの人材募集をみても、資金をファンドのように集め、それを運用できる人材を欲しがる。

確かに発想は素晴らしい。でも、僕はなんか違和感を覚える。それは日本人的、汗水たらしてお金は得るものだ、みたいな考えが残っているからだろうか。基礎体力の部分をあまり、補助金や他人の財布で固めると、基盤が弱くなる。結果、組織の維持にエネルギーが費やされ、本来の目的を達成できず、本末転倒となる。

日本にはそういうシステムがずーっと前から機能している。

お寺だ。

お賽銭、お布施、寄贈・・・。昔は庶民の悩みは地域の寺が受け持っていた。修行を積み、徳というスキルを活かし、人々の生活に尽力した。

事務所の家賃も心配ない。檀家がマンパワーを供給してくれる。あとは若い発想を足すだけだ。

こんなことを書くのも、欧米のNPOの知人から事業拡大の話を聴いてレベルが違う!!と驚愕したからなんだけど。