2008年7月21日月曜日

九州縦断旅行~鹿児島編②~

7月12日



我々はまず、知覧特攻平和祈念館に向かう。朝からオモイ…。知覧は太平洋戦争末期、陸軍の特攻基地がおかれた町だ。館内に入ると壁一面に特攻兵の遺影の写真が。靖国神社を思い出した。ハンカチで目頭を押さえ泣いている人。特攻隊について熱く語るお年寄り。正直、すご~く気分が暗くなった。戦争ってつくづく無益な行為だなと感じた。(写真は一枚も撮らず) 外に出ると、地元の女子高生がお茶を淹れてくれるというので、別館へ。このとき、ほんと今の世の中平和だな~と思った。茶菓子もついて、女子高生の笑顔に元気づけられた我々はメインの知覧麓の武家屋敷群に移動した。



武家屋敷群は「薩摩の小京都」と言われ、薩摩独特の石垣と生垣からなる景観が観る者を江戸時代にタイムスリップさせてくれる。まず気付いたことは、電線が一本もない!この辺一帯は地下に埋まっているのだろうか?そして、生垣が異常に高い。外からは全く中の様子を伺い知ることはできない。さっそく、庭園に入ってみると、確かに優雅なのだが若干狭い…。このあと7件近く周ったがどれも似たような造りでちょっと迫力に欠けた。でも、薩摩の息吹を感じるには絶好の場所だと思う。



お昼は手打ち蕎麦を食べる。ここでもやっぱり肉、肉、肉。いいんだけど。



午後は「仙巌園」へ。ここは19代島津光久が建てた別邸で、桜島を築山に錦江湾を池にみたてた雄大な借景庭園である。ここで、僕は鹿児島市が募集していた俳句、短歌に応募することにした。桜島を眺めながら約10分。我ながらいい歌ができたと思い、父親に詠んで聞かせると一言、「つまんねー歌だな」。喧嘩売ってんのか親父(怒) 邸宅である「磯御殿」を案内してもらったあと、本日二回目のお茶を頂くことに。う~ん、島津って感じのお味でした。そのあと、隣接する尚古集成館へ。ここで、僕は薩摩藩、いや島津斉彬の時代をみる先見性に驚かされたのでした。まあ、ひとことでいうとあの当時、既に斉彬は幕藩体制の維持よりも、いかにヨーロッパ諸国と対等に渡り合えるかということを考えていたわけです。幕府は衰退の道を進んでいたため、「だったら薩摩が軍艦とか武器を作りましょう」と斉彬が先頭に立って事業を進めていったのです。皮肉にもその軍事力は倒幕のさい、圧倒的な力の差を見せつけることになるわけですが…。



最後に「薩摩切子」の見学工場に立ち寄って、家族とはここでお別れ。この先はひとり旅が始まります。



その夜、ひとりになった僕は夕飯の店探しに苦労していた。なんせ、鹿児島は肉、肉、肉ですから…。



ようやく見つけたイタリアン料理の店にはいって、料理について質問したところ、「え、イタリア語の発音がよく聞き取れなかったわ」とぬかす、オバはんオーナー。僕はブチ切れ、あんた日本人のくせにえらそうなこと言うなと吐き捨て、速攻で店をでた。僕はおとななのでお店の名前は出しません。



10分ほど歩いてまた別のイタリア料理のお店を見つける。入ってみると店内ガラガラ。もう、他の店を探す気力はなかったので、この店で夕飯をとることにした。注文したのはトマトのドリア。運ばれてきたその器をみると…「でけーーーーーーーっ!!!!!!!!」。思わず普通のサイズですよね?と聞いてしまった。そしたら、満面の笑みでうなずいたよ、店員は。当然、食べきれず、かなり胃がもたれた。恐るべし鹿児島!



次の日は朝早く、ホテルを出なければいけないので、10時30分には寝た。



→熊本編①に続く



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