このシーズン、テレビや新聞も新年度に向けて、フレッシャーズに向けて色々な番組や企画をやってますね。
そのなかで、印象深かったのは、日本、インド、韓国の大学生が衛星中継で大学や将来についてメッセージを送り合う番組がありました。
東大生の一人が「日本人は大人になる過程でマセていく。子どもの頃の夢や希望を真剣に語ると子供扱いされる。」という言葉に、この学生いいこと言うな!と思いました。
インドや韓国の大学生は大学に入学した時点で明確な目標をもち、勉強時間も日本の大学生と比較したらとんでもなく勉強しています。
でも、日本は入口が難しい分、その後の4年間はなんとなくふわふわしがちです。
大学をあくまでも、学問を学ぶための場所と割り切るかどうかは個人の自由ですが、「大学」という場所に籍を置いている以上、最低の事はこなす義務があると思います。
授業にでない、学校を休む。確かに個人の勝手でしょ、と言ったらそれまでですが、とんでもなくつまらない授業に出て、教授の話を聞くのもやらなきゃいけないことなわけで、そこで好きなものだけを選択し続けると、社会に出てから耐えることができなくなる。
嫌なこと、つまらないことをどうやって耐え、自分のものにするか。
せっかくお金を払っていっているんだから、それも勉強のうちです。
そして、いま自分には目標や夢がないと不安な学生さん。
ない人はなくていいじゃないか?
目標は自分でつくるものだし、夢は無理やり決めるものでもない。
生きてりゃ、目標も夢も変わってくる。
途中で進路変更することに対して、屈折した人生論をぶつけてくる人がいるが、野球選手になることが夢で一生懸命頑張っても、怪我したり、じぶんより上手い奴がいて実現しないかもしれない。
そこから臨機応変に次の自分を探す事は、かしこい選択だと思う。
このご時世、なんでもカテゴリーに分けたがるから、どっかにはいらなきゃいけないと錯覚してしまう。
そんなことはなくて、文系の勉強していても、理系の分野で興味を持てるものがあったらそれもいいし、人とコミュニケーションが苦手だと思っていた自分が、案外そうでもなかったりする。
自分自身、いまだってこれもいいな、あれもいいなと思いながら生きているわけで、答えは死ぬ直前までわからないのです(笑)。
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